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道後駅01
松電(左)と伊予鉄(右)の道後駅舎
(戦前絵葉書より)

松電の終着駅だった道後駅(現・道後温泉駅)には、伊予鉄と松電の駅舎が隣り合って建っていました。伊予鉄は松電開業の1ヶ月前(明治44年8月)に競争力向上のため道後線(一番町~道後~古町)の改軌(762mm→1067mm)と電化を実施しており、この際に道後駅舎も建て替えも行われています。松電の駅舎は伊予鉄に吸収合併された後に間もなく取り壊されましたが、伊予鉄の駅舎は昭和61(1986)年まで利用されました。


[松山電気軌道⑧【公園前~道後】]の続きを読む
南町03
道後鉄道から見た上一万跨線橋
(戦前絵葉書より)

上一万にあった跨線橋も古町跨線橋と同じく石造りの橋台にガーダー橋を架けた構造だったようです。松電の開業は明治44(1911)年、大正15(1926)年には松電の路線を継承した伊予鉄が一番町~道後間を複線化しているので、この跨線橋は最長でも10数年しか存在しなかった事になります。
跨線橋の傍には伊予鉄、松電双方の一万駅が設置されていて、伊予鉄・一万駅は跨線橋北側に、松電・一万駅は跨線橋西側にありました。


[松山電気軌道⑦【上一万~公園前】]の続きを読む
大街道02
松電開業前の伊予鉄・一番町駅
(戦前絵葉書より)

道後鉄道は道後温泉への旅客輸送を目的として敷設された軽便鉄道で明治28(1895)年に開業しました。その名の通り、道後駅(現・道後温泉駅)を起点として三津口駅(現・古町駅付近)と一番町駅(現・大街道駅)に向かう二つの路線を有していたものの、開業から僅か5年後の明治33(1900)年には伊予鉄に吸収合併され、現在の城北線の原型となる道後線として伊予鉄の鉄道網に加わっています。
ここに伊予鉄への対抗心を剥き出しにした松電が、明治44(1911)年に伊予鉄・城南線の原型となる一番町経由のルートで開業し、路線が並行する沿線各地で激しい乗客争奪戦が始まりました。
結果的に松電は伊予鉄に敗北した訳ですが(大正10年、伊予鉄に吸収合併)、一番町を含む城南地区に限っては伊予鉄と比べ経路、設備ともに優れていたので、集客競争を優勢に進めていたに違いありません。


[松山電気軌道⑥【一番町~上一万】]の続きを読む
八股01
八股駅(現・市役所前駅)と松山城
(戦前絵葉書より)

市役所前駅からは松山城と電車を一緒に撮影できるため伊予鉄の中でも定番の撮影スポットです。ここでの写真は松山市の観光案内等でも頻繁に使用されていて、100年以上前に撮影された松電時代の絵葉書も残っています。
開業当時の駅名は駅前の八股榎大明神に由来する「八股」で、昭和19(1944)年に現在の「市役所前」に改称しました。ところで、wikiの松山電気軌道の頁では、当駅が長年にわたって「八段」と誤記されているので、修正できる人がいたら直しといてくれると嬉しい。


[松山電気軌道⑤【八股~一番町】]の続きを読む
札ノ辻01
札ノ辻のクランクカーブに差し掛かる電車
(戦前絵葉書より)

松電に由来する伊予鉄・本町線は、昭和21(1946)年に休止になるまで本町~札ノ辻間が現在よりも少し東側を通っていたため、札ノ辻にはクランク上のカーブが生じていました。このカーブは松山城の角を堀を埋め立てて用地を確保したもので、堀の埋め立てが難航した事から全線の開業に間に合わなくなり、明治44(1911)年9月1日から同月19日までの19日間だけ本町~札ノ辻間を未開通区間(0.2km)として暫定開業せざるを得なくなりました。19日ぐらいなら待てば良い気もするけど、旧三津浜町にとっては待望の鉄道だったので一日も早い開業を望んだのでしょうか。
クランクの曲がり口に建っている4階建ての洋風建築物は大丸百貨店で、開業は大正6(1917)年頃、廃業は昭和4(1929)年頃と言われている事から絵葉書の撮影時期を絞り込むヒントになりそうです。
なお、下の絵葉書には大丸百貨店が写ってないので、こちらは大正6(1917)年以前、つまり松電時代(明治44年~大正10年)に撮影されたものと思われます。


[松山電気軌道④【札ノ辻~八股】]の続きを読む
萱町01
南側から見た古町跨線橋
(戦前絵葉書より)

松山電気軌道が伊予鉄の二路線(高浜線と城北線)を跨いでいた古町駅北側の跨線橋は、当時としては珍しい電車同士の立体交差だったので、松山市の繁栄ぶりを示す格好の撮影地として多くの写真が現存しています。
ここで整理しておくと、左の蒸気機関車(坊ちゃん列車)は松電と競合した伊予鉄高浜線で、明治21(1888)年開業、1067mmへの改軌、複線化及び電化されたのは昭和6(1931)年です。
右の電車は道後鉄道(明治28年開業)由来の伊予鉄城北線で、こちらも起終点(古町~道後)が松電と同じであるため競合する要素を孕んでいましたが、ルートが南北に大きく離れていたために共存する余地があり、現在は伊予鉄の城北線、城南線として路面電車の環状線を形成しています。
そして橋上の松電は明治44(1911)年に開業したものの、伊予鉄との競争に敗れた結果、昭和2(1927)年に萱町~江ノ口間(西側の半分)が廃止されました。


[松山電気軌道③【六軒家~札ノ辻】]の続きを読む
戸塚踏切24
戸塚駅東口側から見た戸塚踏切
(平成27年2月27日撮影)

平成27(2015)年3月25日に閉鎖された戸塚踏切(横浜市戸塚区)を3年ぶりに訪れてみると、すっかり周辺整備は終わっていて、一見しただけでは踏切があったとは分からない状態になっていましたが、東口側には「戸塚大踏切ひろば」が開設され、この地に地元の名物として親しまれていた踏切が存在した事を伝えています。


[国道1号線・戸塚踏切跡]の続きを読む
松山電気軌道01
松山電気軌道開通記念絵葉書

松山電気軌道の廃線跡のうち本町以西の区間は遺構も資料も乏しく記事にしにくいため、前回の更新から7年以上も開いてしまいましたが、ここを書かない事には先に進めないので今回は三本柳から六軒家まで一気に紹介しときましょう。
まずは今回紹介する区間とは直接関係ないけど、最近になって発見した松山電気軌道の開業記念絵葉書から。これは乗車券も兼ねた記念切符的なもので運賃は通行税込で9銭(乗車区間は不明)。日付印は明治44(1911)年9月20日となっていて、これは難工事のため開業が遅れた札ノ辻~本町間(L=0.3km)が開通した翌日に当たります。


[松山電気軌道②【三本柳~六軒家】]の続きを読む
伊予市駅01
松山~南郡中間 開業記念絵葉書

昭和5(1930)年2月27日、予讃線が松山駅から南郡中駅(現在の伊予市駅)まで延伸開業した際、この記念絵葉書が発行されました。ここで注目したいのは大洲以南の予定線が坂石~近永を通っている点です。当時、南予では現行の八幡浜、卯之町ルートと坂石、近永ルートの沿線が熾烈な誘致合戦を繰り広げており、ようやく現行ルートでの敷設が決定したのは昭和8(1933)年の事でした。これは両ルートの沿線人口を比較してみると妥当な判断だったと思います。


[予讃線・松山駅~伊予市駅間]の続きを読む
石手川橋梁01
(旧)石手川橋梁と仮設橋
(平成25年8月1日撮影)

今から5年前の平成25(2013)年頃に、石手川橋梁(予讃線・松山~市坪)の架け替えが始まるという話を聞いたので見に行くと、既に架け替え期間中に使用する仮設橋が完成していました。この後、間もなく仮設橋への切り替えが行われ、旧橋は同年のうちに撤去されたそうです。仮設橋は新橋が開通する平成28(2016)年の秋頃まで約3年間にわたって使用されています。
なお、石手川橋梁の架け替えは松山駅付近の高架化事業に伴う複線化のほか、石手川の河道を拡幅(30m→80m)する河川改修によるものです。

【石手川橋梁】
昭和5(1930)年開業
延長48m
下路プラットトラス橋
平成25(2013)年廃止


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