チキンラーメン号01
大阪モノレール1000系チキンラーメン号
(柴原駅~蛍池駅間)

今年の帰省時に中国道を関東に向けて走行していると、中国池田IC~中国吹田ICの間にて美味しそうなチキンラーメン柄のモノレールに遭遇しました。これは日清食品の創業者である安藤百福さんがチキンラーメンを開発した当時、大阪府池田市に在住していた縁によるもので、平成23(2011)年3月1日からラッピング列車として運行しているとの事です。


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押角駅01
押角駅前の国道340号線

超閑散路線だった岩泉線の中でもとりわけ秘境度が高かったのが押角駅(茂市起点15.8km)でした。この駅についても詳細は以前の記事で紹介しているので今回は5年前との比較に留めておきます。
駅前の国道340号線は相変わらず狭路のままで、廃線から2年以上も経っていると言うのに「←押角駅」の標識が残ったままになっていました。押角駅の他にも岩泉線の駅を指し示した道路標識は基本的に全て残されている(平成28年6月現在)ので、代替バスを利用する乗客の便宜を図っているのかとも考えましたが、代替バス停が設置されなかった当駅については当てはまりません。


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茂市駅26
岩泉線周辺地図

5年ほど前(平成23年)に当時は災害によって休止中となっていた岩泉線の駅巡りを実施しており、その時の様子は途中(押角トンネル)までは記事として公開しているところです。その後も岩泉町を始めとする地元自治体が岩泉線の復旧を模索していたものの、押角トンネルを国道340号線に転用する事と引き換えに復旧を断念した為、平成26(2014)年4月1日をもって岩泉線は正式に廃線となりました。
前回の記事も完結していない状態ではありますが、廃止から2年が経過した今年(平成28年)の6月25日に岩泉線の各駅の現状を確認して来たので、5年前の写真と比較する形で今回の記事を進めていきたいと思います。


[岩泉線の廃駅巡り【茂市~岩手和井内】]の続きを読む
三枚橋01
相州箱根湯本三枚橋
(戦前絵葉書より)

小田原と箱根湯本を結ぶ鉄道は明治21(1888)年に開業した小田原馬車鉄道に始まります。この馬車鉄道は明治33(1900)年に電化して小田原電気鉄道と改称し、昭和3(1928)年には箱根登山鉄道が設立されました。
箱根登山鉄道の線路は現在では一貫して早川の左岸を通っていますが、開業から約20年間は三枚橋付近で一旦右岸側に渡っていたようです。この右岸ルートは明治43(1910)年8月に発生した大洪水によって早川に架かっていた橋梁(前田橋と落合橋)が流失してしまった為、大正2(1913)年に線路を左岸の国道1号線上に移設して併用軌道として復旧しました。
その後、昭和10(1935)年になると小田原~箱根湯本間に現在の鉄道線が開通し、並行路線となった早川口~箱根湯本間の併用軌道は廃止されています。
よって三枚橋付近の早川左岸に併用軌道が敷かれている上記絵葉書の撮影時期は、大正2年から昭和10年までの22年間に絞られるでしょう。


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水浜線跡01
海門橋ノ偉観
(三代目の海門橋)

茨城県の那珂川に架かる海門橋(県道108号・那珂湊大洗線)は明治28(1895)年に開通した木橋を初代とし、その後は流失と再建を繰り返して昭和5(1930)年に永久橋として三代目の開腹アーチ橋が完成しています。この三代目の海門橋は水浜電車(後の茨城交通・水浜線)のレールも敷かれており、水戸市街からの路面電車が那珂湊まで結ばれましたが、橋脚に欠陥があったらしく開通から僅か8年後の昭和13(1938)年に倒壊してしまったという事です(橋脚の残骸の一部は現存している)。
その後は戦時中の資材不足等の事情があって長期に渡って再建に着手する事ができず、昭和34(1959)年になってようやく日本道路公団による有料道路として四代目の海門橋が開通しました。なお、この時点で水浜線は既に斜陽の時代に入っていたため四代目の海門橋にはレールは敷かれず、路面電車が再び那珂湊に乗り入れる事はありませんでした。

【海門橋(三代目)】
昭和5(1930)年竣工、昭和13(1938)年流失
RC上路開腹アーチ橋
延長196.5m、幅員10.9m


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夜昼トンネル01
夜昼トンネル(八幡浜口)入らんとする列車
(戦前絵葉書より)

愛媛縣喜多郡と八幡浜市を継ぐ夜昼トンネルは丹那に次ぐ難工事と云はれ完成に六ヶ年の日時と延人員四十萬人、総工費百五十萬円を要した。延長は二・八七キロで全国第九位四国第二である。

予讃線の伊予平野駅~八幡浜駅間は昭和14(1939)年2月6日に開業しています。現・大洲市~八幡浜市境に位置している夜昼トンネルの掘削では蛇紋岩地帯に遭遇した為、東海道本線の丹那トンネルに次ぐ難工事とまで言われました。なお、絵葉書の解説文では「全国9位」と紹介されていますが、実際には以下の通り国鉄限定でも11位、私鉄も含めると13位が正解のはずです。おそらく夜昼トンネルの1~2年前に開通した仙山トンネルと宇佐美トンネルが漏れているのでしょう。

①上越線・清水トンネル(昭和6年開業、L=9,702m)
②東海道本線・丹那トンネル(昭和9年開業、L=7,804m)
③仙山線・仙山トンネル(昭和12年開業、L=5,361m)
④中央本線・笹子トンネル(明治36年開業、L=4,656m)
⑤石北本線・石北トンネル(昭和7年開業、L=4,329m)
⑥土讃線・猪ノ鼻トンネル(昭和4年開業、L=3,845m)
⑦筑豊線・冷水トンネル(昭和4年開業、L=3,286m)
⑧岩徳線・欽明路トンネル(昭和9年開業、L=3,147m)
⑨因美線・物見トンネル(昭和7年開業、L=3,077m)
⑩伊東線・宇佐美トンネル(昭和13年開業、L=2,919m)
⑪予讃線・夜昼トンネル(昭和14年開業、L=2,870m)


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茂原人車軌道01
千葉縣茂原本町通
(現在の国道128号線)

千葉県茂原市の本町通りを撮影した戦前絵葉書。路面中央にレールが敷かれていたので「茂原市 軌道」でググってみたところ、かつて茂原市と長南町を結ぶ軌間610mmの人車軌道が存在していた事が判明。
この人車軌道は長南町で生産されていた叺(かます)や筵(むしろ)の輸送を主な目的として明治42(1909)年に国鉄・茂原駅前~台向間(約8km)を開業。大正2(1913)年には南方に1.5km延伸して終点の地蔵町まで全通しています。開業からしばらくの間は旅客・貨物ともに活況を呈していたようですが、大正末頃から乗合バスやトラックが台頭し始めると輸送効率に劣る人車は簡単に取って代わられる事態となり、自動車通行の邪魔になるという事で全通から僅か12年後の大正14(1925)年に全廃となってしまいました。
なお、茂原人車軌道の廃止から5年後の昭和5(1930)年に茂原駅から長南を経て市原市の奥野駅まで一部が人車軌道と重複するルートで南総鉄道(軌間1067mmの非電化路線)が開業したものの、こちらもバスに打ち勝つことができないまま昭和14(1939)年に廃止されています。


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南津電鉄01
絹の道入口

国道16号線の御殿峠(八王子市)から鑓水に抜ける裏道市道の道中、絹の道入口の分岐点には庚申塔、供養塔、道路改修記念碑(岸耕地道路)に混ざって鑓水停車場の碑が並んでいます。この碑は昭和初期に神奈川県津久井郡川尻村(城山町を経て現在は相模原市の一部)と玉南電気鉄道・関戸駅(現在の聖蹟桜ヶ丘駅)を結ぶ事を計画した南津電気鉄道株式会社が開業に先んじて昭和天皇の御大典記念として当時建設中だった鑓水駅の用地に建立したものです。
南津電鉄は鑓水の生糸商人や養蚕農家が中心となって設立した会社だった為、当初から資本力に乏しく昭和4(1929)年からの世界恐慌によって生糸価格が暴落すると、たちまち資金繰りが悪化して建設工事は頓挫してしまい昭和9(1934)年になると遂に南津電鉄は鉄道路線を開業する事なく会社を解散しています。
途中まで建設が進められた路盤跡は戦後の宅地化によって姿を消し、現在地に移設された鑓水停車場の碑だけが残されました。

地図


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おとぎ列車00
西武山口線周辺地図

西武山口線は昭和25(1950)年に多摩湖の畔に開園した西武園の遊戯施設(おとぎ線:軌間762mmのナローゲージ)という形で、多摩湖ホテル前駅(後に遊園地前駅に改称)~上堰堤駅(現在の狭山スキー場付近)間が開業した事に始まります。翌昭和26年に山口観音の北側に、西武によって遊園地・ユネスコ村が開園した為、上堰堤駅からユネスコ村駅まで延伸して西武が所有する両遊園地を結ぶ路線が完成。昭和27(1952)年には地方鉄道に転換して山口線と改称、遊戯施設から正式な鉄道になりましたが、起終点が共に遊園地である僅か3.7kmの路線でした。
機関車には当初は蓄電池機関車(バッテリーロコ)が使用されていましたが、昭和47(1972)年からは集客の一環として蒸気機関車の運行を開始し、これは昭和59(1984)年に西武山口線が案内軌条式鉄道への改築工事によって休止するまで継続しています。案内軌条化に当たっては、起終点駅を遊園地から西武狭山線・西武球場前駅と西武多摩湖線・西武遊園地駅に変更する事によって山口線を狭山線と多摩湖線の連絡路線とし、途中駅として遊園地西駅を設置して西武園ゆうえんちへのアクセスも維持しました。ただし、ユネスコ村への旧線は廃止となり、ユネスコ村自体も6年後の平成2(1990)年に閉園しています。

おとぎ電車

オトギ電車の発駅は多摩湖ホテル前駅であり、此の駅よりユネスコ村駅間は三粁七にして約二十分を要す。途中には鉄橋あり、隧道あり、林間をぬけ、丘を越え車窓よりの眺めは又格別にして、世界各国の様々の形の変つた家を眺めながら走る、文字通りオトギの国の電車である。

(記念乗車券より)



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住吉公園駅01
住吉公園駅周辺地図

昨年(平成27年)8月28日に阪堺電気軌道は上町線(天王寺駅前~住吉公園、L=4.6km)の末端部分である住吉~住吉公園間(L=0.2km)を、平成28年1月31日をもって廃止する事を発表しました。
住吉公園駅からは昭和30年代には1日200本もの電車が運行していましたが、近年では乗客が減少し続け、あべのハルカスの開業に合わせて行われた平成26(2014)年3月のダイヤ改正からは住吉公園を発車する電車は平日5本、休日4本にまで激減し、この時点で既に住吉公園駅の廃止は取り沙汰されていました。阪堺電気軌道の発表によると、老朽化した住吉~住吉公園間の線路及びポイント設備の改修には約5億円の費用を要する為、電車が1日4~5本しか走っていない同区間の廃止を決断したという事です。
廃線になる区間の記録を残しておこうと思い、平成27年10月3日(土)に名古屋から現地へ行って来ました。

上町線 住吉~住吉公園間(0.2km)の軌道事業の廃止について

 当社では、この度、上町線 住吉~住吉公園間(0.2km)の軌道事業を廃止することとし、国土交通大臣宛てに廃止申請書を提出いたしました。
 この区間は、現在、朝の7・8時台(平日:上下5本、土休日:上下4本)のみ運行しておりますが、事業廃止により、住吉公園停留場に乗り入れている電車を我孫子道停留場までの運行に変更する予定です。ご利用のお客さまには大変ご迷惑をお掛けしますが、何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます。

(阪堺電気軌道株式会社の告知文より)



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