東山トンネル01
東山トンネル 大津側坑口

明治13(1880)年に開業した東海道本線の京都駅~大津駅間は現在の経路とは異なり、京都駅から奈良線のルートで稲荷駅付近まで南下して東山を迂回し、山科の勧修寺から大谷駅を経て(旧)逢坂山トンネルで大津に抜けていました。
この旧ルートは25‰の勾配が連続していた為、輸送量の増大に伴い列車の運行に支障を生じてきた事から、勾配を抑える長大トンネルが計画されるようになり、大正10(1921)年に東山トンネル(L=1,865m)と新逢坂山トンネル(L=2,325m)を通る新線が開通しています。

【東山トンネル】
大正10(1921)年開通
延長1,865m
選奨土木遺産
近代土木遺産Aランク



東山トンネル02
左側の扁額:「古今相照」

東山トンネルの大津口に掲げられた二つの扁額は、いずれも当時の神戸鉄道局局長だった長谷川謹介氏の揮毫によるものです。


東山トンネル03
右側の扁額:「山紫水明」



東山トンネル04
東山トンネルから山科駅を見る

大正10(1921)年に東山トンネルが開通した後も東海道本線の輸送量は増え続け、昭和19(1944)年には京都駅~膳所駅間が3線化、さらに昭和45(1970)年には京都駅~草津駅間が複々線(4線)に増設され現在に至っています。


東山トンネル05
山科の大築堤を走行する117系電車
(山科駅~東山トンネル間)



東山トンネル06
蝉丸跨線橋
(新逢坂山トンネル 大津側坑口)

新線区間に掘られたもう一つのトンネルである新逢坂山トンネルは、大津側坑口に近接する掘割に京阪京津線(大正元年開業)の蝉丸跨線橋が架けられました。そのため同トンネルの大津側坑門は開業以来地上からは見えにくい状態です。

【蝉丸跨線橋】
大正10(1921)年竣工
煉瓦拱渠
近代土木遺産Bランク


東山トンネル07
京都駅~山科駅~大津駅間の東海道本線旧線(青点線)





東山トンネル08
(旧)逢坂山トンネル 大津側坑口

廃止から100年近く経過した旧線の逢坂山トンネルも大津側の一部が現存しており、洞内は京都大学の地震観測施設として活用されているという事です。
旧逢坂山ずい道東口

このずい道は明治11年10月5日東口から、又同年12月5日西口からそれぞれ掘さくを始め、約1年8ヶ月の歳月を費して明治13年6月28日竣工したもので、大正10年8月1日線路変更により廃線となるまで、東海道本線の下り線として使用されていたものであります。
全長664.8mにおよぶこのずい道は日本人技術者が外国技術の援助を得ずに設計施工した、我が国最初の山岳ずい道として歴史的な意義をもつものであります。
坑門上部にある石額は竣工を記念して時の太政大臣三條実美の筆になるものであります。

(現地の案内板より)



東山トンネル09
(旧)逢坂山トンネル

【逢坂山トンネル】
明治13(1880)年竣工、明治31(1898)年複線化
大正10(1921)年廃止
延長664.8m
鉄道記念物
近代土木遺産Aランク



東山トンネル10
三條実美による扁額
「楽成頼功」



東山トンネル11
大谷駅跡

逢坂山トンネルの西口(京都側)には東海道本線の大谷駅がありましたが、名神高速の建設によって逢坂山トンネル西口と共に埋め立てられ、現在では蝉丸トンネル(名神高速)の坑門上に「逢坂山とんねる跡」の碑が建立されています。

旧東海道線 逢坂山とんねる跡

明治十三年、日本の技術で初めてつくった旧東海道線逢坂山トンネルの西口は名神高速道路建設に当り、 この地下十八米の位置に埋没した。ここに時代の推移を思い碑を建てて記念する。



東山トンネル12
旧・山科駅付近の名神高速

勧修寺にあった旧・山科駅付近から逢坂山トンネル西口にかけての旧線跡は大部分が名神高速の用地に転用されました。この区間の名神高速を走る際には明治から大正にかけての東海道本線旧線に思いを馳せてみるのも良いでしょう。


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