加古川バイパス01
新在家歩道橋から加古川バイパスを見る(西側)
(平成29年3月16日撮影)

国道2号線の加古川バイパスは戦前に計画されていた新幹線「弾丸列車」の建設用地を転用している事で知られています。
弾丸列車計画は昭和16(1941)年に着工したものの、戦局の悪化によって昭和18(1943)年に中断するのですが、この2年間の動きは用地買収がメインだったため、実際に工事が行われたのは難工事が予想されていた3つの長大トンネル(新丹那、日本坂、東山)だけでした。
戦前に確保していた鉄道用地は、大阪以東では東海道新幹線(昭和39年開業)に転用され早期開通に大きく寄与したものの、着工が昭和42(1967)年と遅かった山陽新幹線の区間では多くが元の地権者に返還されていた為、弾丸列車とは別ルートで建設される事になった訳です。
もし山陽新幹線が東海道新幹線と同時に着工していたとしたら、弾丸列車の用地を活用したとされる第二神明や加古川バイパスのルートを通っていたのかもしれません。


加古川バイパス02
新在家歩道橋から加古川バイパスを見る(東側)

地図で見た限り加古川バイパス(L=12.2km)の上に架かっている歩道橋は砂部陸橋と新在家歩道橋の2ヶ所だけ。新在家歩道橋の方が山陽本線の駅(東加古川駅)から近かったのでこちらを選択しました。
加古川バイパスは準高速道路とでも言うべき自専道(制限速度60km/h)ですが、昭和45(1970)年と古い時代に開通したためか全体的に低規格で、アップダウンが非常に多く事故が多発する原因になっています。せっかく新幹線に由来する一直線の線形を利用しているのに十分に活かせてない状態です。


加古川バイパス03
加古川バイパス周辺地図





加古川バイパス04
日本坂トンネル 東京側坑口

東海道新幹線の静岡駅~掛川駅間に位置する日本坂トンネルは、前述の通り昭和16(1941)年に東山トンネル(米原駅~京都駅)、新丹那トンネル(熱海駅~三島駅)と共に着工しました。昭和18(1943)年に弾丸列車計画が中止になった後も、近接する東海道本線の新トンネルとして使用する為に工事が継続される事が決定。翌年の昭和19(1944)年に在来線のトンネルとして開通し、東海道新幹線が開通する2年前の昭和37(1962)年まで在来線が使用する状態が続きました。
ちなみに日本坂トンネルを新幹線に返上した後の東海道本線には、旧線を一部改修して完成した石部トンネル(L=2.2km)を通るようになりました。


加古川バイパス05
日本坂トンネル 東京側坑口

上記の事情から日本坂トンネルは弾丸列車に由来する東海道新幹線の中では唯一の完成品となり、その事が評価されたのか複線断面のコンクリートブロックトンネルとして近代土木遺産Bランクに指定されています。

【日本坂トンネル】
昭和19(1944)年竣工
延長2,174m
近代土木遺産Bランク


加古川バイパス10

日本坂トンネル開通の2年後に当たる昭和21(1946)年に撮影された空中写真をみると、名古屋側ではトンネルに接続する弾丸列車の路盤も建設が進んでいた様子が写っていました。昭和37(1962)年まで在来線と日本坂トンネルを結んでいた新旧連絡線は、廃止後は一部が車道に転用されているものの目立った遺構は現存していません。


加古川バイパス06
日本坂トンネルから東京方面を見る
(新旧連絡線は右にカーブして在来線に接続していた)



加古川バイパス07
日本坂トンネル 名古屋側坑口
(ロックシェッドが接続され坑門は見えない)



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