美名瀬橋01
戦前の愛媛県西宇和郡川之石町
(宮内川河口付近)

佐田岬の根元に位置する愛媛県西宇和郡川之石町(保内町を経て現在は八幡浜市の一部)は、明治時代には県内初の銀行が開業し、電灯が四国で最初に導入されるなど、現在の南予地方からは考えられない進歩的な土地柄でした。また、明治24(1891)年に開かれた町内雨井の大峰銅山(絵葉書中の「9」の場所)が別子銅山に次ぐ四国第2位の規模にまでに成長した為、明治から大正にかけての一時期は郡役所が置かれていた八幡浜をも凌ぐ繁栄ぶりだったそうです。
川之石町の栄華を支えた大峰鉱山は昭和33(1958)年に閉山となりましたが、現在も旧保内町域は八幡浜伊方原発のベッドタウン的な賑わいが保たれています。


美名瀬橋02
現在の八幡浜市保内町川之石
(宮内川河口付近)

戦前から工場予定地として造成されていた埋立地(絵葉書中の「10」の場所)には順調に工場誘致が進み、現在では「あわしま堂」、「白浜造船」、「興国コンクリート」等の工場が稼働する八幡浜市内でも屈指の工業地帯になりました。


美名瀬橋10
昭和21年発行「八幡浜」(1:50000地形図)

宮内川を河口から少し上流に遡ると川之石橋(旧国道197号)の旧橋に当たる美名瀬橋が架かっています。美名瀬橋は江戸時代からの長い歴史を持っており、近接する旧東洋紡績の赤煉瓦倉庫と合わせて川之石の象徴的な存在です。


美名瀬橋03
美名瀬橋
(昭和8年4月9日開通)

美名瀬橋の歴史は川之石発展の歴史でもある。
明和年間(一七六四~)に和田新田(いまの和田町)、寛政年間(一七八九~)に向新田(いまの保内中あたり)が埋立て造成され交通往来の新しい橋が望まれた。川之石湾口近く、満潮時の舟による運送に便利な、長さ二十間(約三十六メートル)の無杭橋が作られた。
橋台の梁木にはね木をのせてせりだし、強度を保つ継行桁材の太鼓橋。木の力の組み合わせによるバランスを皆勢橋と名づけた。庄屋二宮盛尊のもとで村民一致協力の賜物である。ときに、弘化元年(一八四四)六月のことである。
・明治二十年(一八八七)架け替え。
・明治三十八年(一九〇五)修繕。
・明治四十三年(一九一〇)架け替え「美名瀬橋」と記す。花崗岩の橋脚で総ヒノキ堅材使用。
・昭和八年(一九三三)架け替え。四月九日開通。鉄筋組立、スラブコンクリート造り。
東洋紡績工場の赤レンガと潮の満ち干に映る姿が水面にゆらぎ、折り折りに姿を変える美名瀬橋。
・平成十年(一九九八)三月大改修完成。新しい時代を予告させる。
(現地の案内板より)



美名瀬橋04
4枚とも現存している親柱の銘板



美名瀬橋05
美名瀬橋と旧東洋紡績赤煉瓦倉庫

【美名瀬橋】
昭和8(1933)年3月竣工
延長25.7m、幅員5.0m
RC桁橋
近代土木遺産Cランク


美名瀬橋06
大正時代に建てられた赤煉瓦倉庫

東洋紡績川之石工場が開業したのは大正3(1914)年。当時の川之石町民の3人に1人が東洋紡績に勤めていたと言われ、昭和35(1960)年に撤退するまで大峰銅山と共に川之石町の繁栄を支えていました。
ちなみに大峰銅山の跡地には現在は富士シリシア化学の工場が建っていますが、同工場の敷地内には坑口、坑道が現存しており、近年になって産業遺産として活用を求める声が活発化しているらしいです。


美名瀬橋07
美名瀬橋から宮内川の上流を見る
(向かって左側が青石護岸)

河口付近の宮内側右岸は昭和初期に矢羽根積みの青石護岸が整備されており、平成28(2016)年度に選奨土木遺産の認定を受けています。


美名瀬橋08
宮内川青石護岸
近代土木遺産Bランク



美名瀬橋09
旧国道197号の川之石橋

美名瀬橋のバイパス的存在である川之石橋は昭和33(1958)年3月竣工。この頃から川之石における主要交通が海上から陸上へと移り変わり、伊方原発の建設もあって国道197号の整備が急速に進められました。


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