水浜線跡01
海門橋ノ偉観
(三代目の海門橋)

茨城県の那珂川に架かる海門橋(県道108号・那珂湊大洗線)は明治28(1895)年に開通した木橋を初代とし、その後は流失と再建を繰り返して昭和5(1930)年に永久橋として三代目の開腹アーチ橋が完成しています。この三代目の海門橋は水浜電車(後の茨城交通・水浜線)のレールも敷かれており、水戸市街からの路面電車が那珂湊まで結ばれましたが、橋脚に欠陥があったらしく開通から僅か8年後の昭和13(1938)年に倒壊してしまったという事です(橋脚の残骸の一部は現存している)。
その後は戦時中の資材不足等の事情があって長期に渡って再建に着手する事ができず、昭和34(1959)年になってようやく日本道路公団による有料道路として四代目の海門橋が開通しました。なお、この時点で水浜線は既に斜陽の時代に入っていたため四代目の海門橋にはレールは敷かれず、路面電車が再び那珂湊に乗り入れる事はありませんでした。

【海門橋(三代目)】
昭和5(1930)年竣工、昭和13(1938)年流失
RC上路開腹アーチ橋
延長196.5m、幅員10.9m


水浜線跡02
四代目の海門橋

四代目・海門橋の償還期間は当初計画では30年に設定されていましたが、地元の強い要望によって開通から20年後の昭和54(1979)年に無料開放されました。有料道路末期の通行料金は「普通車80円、軽自動車20円、自動二輪20円」(昭和52年)でした。

【海門橋(四代目)】
昭和34(1959)年竣工
鋼下路ランガー橋
延長407.8m、幅員9.0m
事業費 3億3,500万円


水浜線跡03
四代目・海門橋の銘板



水浜線跡04
水浜線の路線図

海門橋の倒壊によって休止になった水浜線の祝町~湊間は、戦時中に不要不急線に指定された大洗~祝町間と合わせて昭和28(1953)年に正式に廃線になりました(赤点線)。残る区間(青点線)が全廃となるのは、それから13年後の昭和41(1966)年の事です。
時間の都合で大洗町内には立ち寄れなかったけど、塩崎以西の廃線跡は水戸への道中に確認したので以下に簡単に紹介しときましょう。


水浜線跡05
【A地点】 六反田~谷田間の廃線跡
(奥が大洗方面)

水浜線は路面電車とは言え、水戸の市街地を離れた郊外では殆どの区間が専用軌道で敷設されていました。これらの専用軌道の跡地は大半が国道51号線に並行する生活道路や農道に転用されています。


水浜線跡06
【A地点】 六反田~谷田間の廃線跡
(奥が水戸方面)



水浜線跡07
【B地点】 水浜線が横切っていた柳町一丁目交差点
(本一丁目~東棚町間)

浜田電停付近からは旧国道51号線(現在の「ふれあいロード5・6・7」)の上に敷かれていた併用軌道でした。よって水門橋の例外を除くと水浜線の痕跡は残っていません。


水浜線跡08
【C地点】 水門橋

桜川に架かる水門橋は水浜線が廃止される3年前の昭和38(1963)年に竣工した(元)併用橋です。橋上には舗装の隙間から撤去を免れたレールが僅かに姿を見せています。このレールが貴重な物であると当局も認識しているらしく、水門橋の袂には水浜電車の記念碑が建立されていました。


水浜線跡09
水門橋のレール

水浜電車は大正十一年(一九二二)浜田-磯浜間の八・七キロメートルで営業を開始し、昭和五年(一九三〇)には、袴塚‐湊間に路線を延長した。大正~昭和期の四十数年にわたり、市民や海水浴客に利用され親しまれた水浜電車であったが、自動車交通の発達により、昭和四十一年にその姿を消した。現在ここに、軌道敷の一部が残されている。

(現地の記念碑より)






水浜線跡10
【D地点】 水浜線の跨線橋
(戦前絵葉書より)

水門橋を渡った水浜線は専用軌道の跨線橋で常磐線と水郡線を立て続けに跨いで水戸駅前に至っていました。常磐線の跨線橋は廃線後に撤去され、水郡線の跨線橋は国道51号線のバイパス用地に転用されて跡地には「棚町小橋」という橋が架かっています。


水浜線跡11
【D地点】 国道51号線に転用された水浜線の跨線橋跡
(一高下~三高下間)





水浜線跡12
【E地点】 三の丸二丁目交差点
(奥が大洗方面)

水戸駅前から見た三の丸二丁目交差点。左折が水浜線の専用軌道を転用した国道51号線(バイパス)、直進は石垣橋を渡って東台一丁目交差点に至る旧国道51号線です。


水浜線跡13
【E地点】 水戸駅前

水戸駅前で水浜線が敷かれていた道路は国道51号線から国道50号線に切り替わります。県都の駅前だけあって開発が著しく路面電車の痕跡は微塵も見当たりません。


水浜線跡14
水戸駅の水戸黄門像





水浜線跡15
【F地点】 局前電停

局前電停があった中央郵便局前交差点。絵葉書に写っている茨城相互銀行(現・筑波銀行)は、現在も同位置で変わらずに営業しているので撮影地を容易に特定する事ができました。


水浜線跡16
【F地点】 局前電停跡
(中央郵便局前交差点)





水浜線跡17
(水戸十六景) 水戸市街ノ一部

こちらの絵葉書は撮影時期が古い上に目印となる建物もない為、残念ながら撮影地の特定には至りませんでした。何となく本町辺りのような気はするんだけどな…。


水浜線跡18
【G地点】 泉町一丁目付近の併用軌道跡



水浜線跡19
【H地点】 一中前電停跡

県道30号線(水戸岩間線)との交差点付近にあった公園口電停付近から、水浜線は国道50号線を離れ終点の上水戸に向けて北上を開始。この間の専用軌道跡は一部が宅地化しているものの、大部分が生活道路(市道)に転用されています。


水浜線跡20
【I地点】 上水戸電停跡

水浜線の終着駅であり茨城交通・茨城線(赤塚~御前山、昭和46年全廃)と連絡していた上水戸電停の跡地には「FOOD OFFストッカー上水戸店」が建っていました。


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コメント
この記事へのコメント
水浜線の上に私の家は建っています。
2017/06/25(日) 16:16 | URL | ピースライド #-[ 編集]
こんにちは。
廃線跡地に民家が建つケースも結構あるらしいですね。
2017/06/25(日) 17:30 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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