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高須隧道01
高須隧道 大杉側坑口
(開通紀念絵葉書より)

高須隧道(高知県長岡郡大豊町)の開通紀念絵葉書を入手したので、春に帰省した時に約10年ぶりとなる現状確認をしてきました。
本邦道路隧道輯覧によると高須隧道の着工は昭和5(1930)年1月3日、竣工は昭和6(1931)年8月10日と記録されています。坑門には「昭和七年三月竣工」と記されていますが、これは竣工年ではなく開通年を指しているようです。高須隧道が開通した昭和7(1932)年12月20日には高知市から伸びてきた土讃線が大杉駅まで達しており、同隧道の建設には現在の本山町、土佐町域からも大杉駅を利用しやすくする意図が大きく働いていました。
それにしても同時期に完成した呼坂隧道(高知県高岡郡四万十町)と比べてみると、坑門のデザインが瓜二つだった事がよく分かります。

【高須隧道】
昭和6(1931)年竣工
延長346.0m、幅員5.0m、高さ4.5m(制限高4.0m)
昭和61(1986)年廃止
総工費:153,888円


高須隧道02
高須隧道 大杉側坑口
(平成13年4月28日撮影)

私が初めて高須隧道を訪れたのは、新高須トンネルの開通によって高須隧道が廃止されてから約10年が経過した平成7(1995)年の事です。この時点で既に両坑口は金網で塞がれていたものの、徒歩であれば容易に進入できる状態でした。


高須隧道03
高須隧道 大杉側坑口
(平成17年1月23日撮影)

平成15(2003)年には高須隧道に大きな変化がありました。この年の秋頃に本山町側からフォークリフトが頻繁に隧道に出入りしていたので嫌な予感を感じてましたが、同年の年末に来てみると鉄扉にて厳重に塞がれてしまってました。何かの保管庫に転用されたようです。


高須隧道04
高須隧道 大杉側坑口
(令和元年12月29日撮影)

そして完全封鎖から10年以上が経過した平成28(2016)年3月現在も、上記と同様に塞がれた状態が継続していました。
今回、現役時代を感じる為にセレナの先端部分を洞内に突っ込んでみましたが、普通車同士の離合にも大して余裕が無かった事が分かります。この狭隘さと後述する洞内カーブが合わさって、モータリゼーションが進んだ現役末期には非常に難易度が高い隧道になっていたに違いありません。


高須隧道05
大杉側の扁額



高須隧道06
洞内のカーブを予告している看板





高須隧道07
【A地点】 国道32号線と旧国道439号の交差点
(平成13年4月28日撮影)

国道32号線から高須隧道へ向かう旧国道439号線が分岐していた交差点は、地形の制約から非常に鋭角なY字交差点になっていました。この15年間で特に大きな変化はありませんが、交差点で営業していたガソリンスタンド(日本石油)は10年ぐらい前(平成18年頃)に廃業したようです。新高須トンネルの大杉側坑口は、この交差点から250mほど北側に位置しています。


高須隧道08
【A地点】 国道32号線と旧国道439号の交差点
(平成28年3月21日撮影)





高須隧道09
【B地点】 旧国道439号線

旧道は狭いながらも二車線幅だったらしく、年々薄くなっているもののオレンジのセンターラインが引かれていました。旧道沿いには高須隧道の手前まで民家が立ち並んでいました。旧道とはいえ町役場の真ん前だから大豊町の中では一等地なんだろうな。


高須隧道10
【C地点】 新高須トンネル 本山側坑口
(左のアンダーパスを潜った所が旧隧道)

新高須トンネルの本山側坑口は高知道の大豊インターに面して口を開けています。新高須トンネルの開通は昭和61(1986)年の事で、翌年の大豊インター開通に備えての事でした。土讃線の開業に合わせて高須隧道が開通し、高速道路の開通によって新トンネルが開通している事実が、近隣にとっての高須トンネルの重要性を表しているようです。
本山側の新旧坑門は並んだ位置にありますが、旧隧道はインターの跨道橋に隠され現道からは見えなくなっています。

【新高須トンネル】
昭和61年5月竣工
延長428m、幅員9.25m


高須隧道11
高須隧道 本山側坑口
(開通紀念絵葉書より)



高須隧道12
高須隧道 本山側坑口
(平成13年4月28日撮影)



高須隧道22
高須隧道 本山側坑口
(平成19年3月17日撮影)



takasu-tn13
高須隧道 本山側坑口
(令和元年12月29日撮影)

本山側の坑門も平成15(2003)年に封鎖が厳重になった他には、この15年間で特に変化は見られませんでした。


高須隧道14
本山側の扁額



高須隧道15
洞内のカーブを予告している看板



高須隧道16
洞内カーブ(奥が大杉側)

塞がれる直前の洞内を往復した事がありますが、この時点では洞内が何かに転用された形跡はなく、廃止された当時のままの状態で放置されていました。個人的に好きな隧道だったので、いつかまた入洞できる日が来ると良いな。


高須隧道17
洞内カーブ(奥が本山側)



高須隧道18
高須隧道周辺地図

なお、高須隧道以前の車道としては明治31(1898)年に郡道・本山線の鳥越峠が開通しています。この旧旧道の峠道は急坂・急カーブが連続する難所で事故も多発していたそうです(大豊町誌より)。大杉側は現在でも町道として利用されていて地形図にも車道として記載されていました。私はまだ通った事がないけど九朗さんが記事にされているので御一読をオススメします。


高須隧道23
大杉駅に到着する特急「しまんと」



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