旧下関駅3
【A地点】 三百目駅跡(奥が唐戸・長府方面)

前回に続いての山陽電気軌道の廃線歩き、後編は唐戸駅跡から870m地点の三百目駅跡から始めます。
まあ、路面電車の廃線跡なんて遺構は皆無なので今回のメインは山電ではありません。
地図はこちら


旧下関駅2
①やまぎん史料館

三百目から少し戻った観音崎町の旧道沿いにあるやまぎん資料館(旧三井銀行下関支店)。紹介看板が建ってたので以下に引用しときます。

山口県指定有形文化財 山口銀行旧本店 付棟札

構造形式:煉瓦及び鉄筋コンクリート造(カーン式)2階建て地下1階
建築面積:578.129㎡(付属屋69.038㎡を含む)
建設年代:大正7年10月23日起工・大正9年5月21日竣工

 この建物は、イタリアルネッサンス様式を基調とする外観をもち、古典主義様式の建築デザインを得意とした長野宇平治(1867~19370)の代表的な作品の一つであり、構造やデザインにも時代的特色がよくあらわれている山口県を代表する近代建築です。
 大正9年(1920)に三井銀行下関支店として竣工、その後、昭和8年(1933)百十銀行本店、同19年山口銀行創立とともにその本店となり、同44年以降は山口銀行別館などとして使われていましたが、平成16年(2004)清水建設に依頼して耐震補強とともに保存修理工事を行い、玄関入口・風除室・営業台などを山口銀行創立時の姿に復原しました。
 棟札には、上棟は大正8年(1919)11月24日、設計は長野宇平治、施行は竹中工務店と記されています。長野宇平治は日本銀行本店の増築や同岡山支店をはじめ多くの銀行建築をてがけたほか、日本建築士会初代会長としても知られています。


旧下関駅4
②旧日本捕鯨下関支店

岬之町の丘の上に建つ旧日本捕鯨下関支店(昭和元年建造)。鉄筋コンクリートの白と煉瓦の赤の色の対比が鮮やかな建物です。現在は空き家になってるようでしたが?


旧下関駅5
【B地点】の歩道橋上から下関駅方面を見る

入江口、西細江、茶山口の駅跡を過ぎ、下関駅(路面電車駅跡)の手前までやってきました。この内、西細江は国鉄下関駅と連絡する下関駅として昭和13年に開業しています。昭和17年に関門トンネル(L=3614m)が開通した事により国鉄駅が現在位置に移転した為、山電の下関駅も昭和21年に約700m西に移設開業し、旧下関駅は西細江に改称されました。
この時に付替えられた旧下関駅への山陽本線旧線は一部が市街地の道路に転用されています。


旧下関駅06
建設中の関門トンネル(昭和14年頃)
【近代土木遺産Aランク、選奨土木遺産】

関門トンネル(下り線)は昭和11年起工、戦時下にも関わらず輸送力強化の為に突貫工事で建設が進められ、昭和17年に世界初の海底鉄道トンネルとして開通しました。昭和19年には上り線が開通し複線化が完成しています。


下関駅周辺
昭和7年発行「小倉」(1:50,000地形図)
関門トンネル開通前の旧下関駅周辺



旧下関駅6
【C地点】 市街地に残る山陽本線の旧線跡地を転用した道路



旧下関駅7
【B地点】の歩道橋上から唐戸方面を見る

写真奥の交差点が山電「茶山口」駅跡。旧山陽本線は【B地点】の交差点を横切り、現在の海峡メッセ北側を経て旧下関駅(現・下関署付近)に向かっていました。


旧下関駅8
【D地点】の人工地盤から旧下関駅方面を見る

旧下関駅周辺には廃線後に細江貨物ヤードが建設されましたが、貨物ヤードも国鉄末期の昭和59年に廃止となりました。現在では跡地の再開発が進み海峡メッセ、海峡ゆめタワー等が建ち並んでおり、戦前に廃止になった旧線の遺構はおろか広大な貨物ヤードの面影さえ全く残ってません。


細江貨物ヤード
細江貨物ヤード(昭和49年空中写真)



旧下関駅12
【D地点】の人工地盤から現下関駅(東口)方面を見る

現在は埋立が進み海が遠くなりましたが、関門トンネル開通前はこの付近に旧下関駅からスイッチバックしてきた貨物線と関門航路の貨車航送場がありました。貨車航送場とは鉄道連絡船に直接鉄道車両を積み込み運搬する為の特殊な桟橋施設の事で、関門航路の他には宇高航路、青函航路でも利用されていました。
関門航路の貨車航送場の遺構は何も残ってませんが、跡地が「車両航送発祥の地」として準鉄道記念物に指定されています。


旧下関駅16
下関貨車航送場と航送船(昭和4年頃)

準鉄道記念物 車両航送発祥の地

 本州・九州間の鉄道貨物輸送に、大変革をもたらした貨物輸送は鉄道院から下関・小森江 (北九州市門司区小森江笠松町)間の航送作業を請け負った、宮本高次(下関宮本組)が明治40年3月1日から試航送を行い、同年10月1日鉄道院はこの航路を関森航路として正式に営業を開始した。
 宮本高次はかねてから、貨車航送について深い関心をよせ、航送作業を請け負うに当り、私財を投じて7トン貨車3両を積載する艀3隻とこれを曳航する小蒸気船3隻を建造し、当時の困難な海陸連絡輸送を打開しました 。
 この貨車航送は、我が国車両航送の始まりであり、当時の下関側発着場がこの地です。

 昭和41年10月14日指定



旧下関駅13
関門連絡船と桟橋(撮影場所・年代不明)



旧下関駅9
【E地点】 旧下関駅跡地(下の写真とほぼ同位置から撮影)



旧下関駅10
【E地点】 旧下関駅と旧山陽ホテル(昭和13年頃)

遺構が何も残っていない旧駅跡であすが、駅前にあった山陽ホテルの建物が現存していたお陰で駅舎の位置だけは正確に知る事が出来ました。ちなみに旧駅駅舎はこの写真が撮影されてから数年後に戦災で消失してしまいました。


旧下関駅11
③旧山陽ホテル

山陽ホテルは明治35年の下関駅開業に併せて山陽鉄道が建設した宿泊施設で、現在に残る建物は山陽鉄道国有化後の大正13年に建て替えられた鉄筋コンクリート造り(一部煉瓦)の物です。皇族や財界人も多数利用する一流ホテルでしたが、関門トンネルの開通や戦局の悪化により戦争末期にホテルとしての営業を終え、以後は国鉄・JRの管理する貸しビルとなっていました。2003年に耐震性が不十分な事が判明し、以後は空き家になっています。

※旧山陽ホテルは老朽化のため平成23(2011)年に解体撤去され、ホテルが建っていた跡地は駐車場になっています。


旧下関駅14
【F地点】 港橋東詰

市道の港橋のすぐ傍を唐戸への貨物線が通っていました。橋梁以西は市営駐車場等の建設用地になり、以東では市道の拡幅に飲み込まれたのか廃線跡は判然としませんでした。


旧下関駅15
サンデン交通 唐戸バス停

そろそろ1時間半の自由時間も残り少なくなってきたので、山陽電気軌道の後進であるサンデン交通のバスに入江口から乗車して唐戸に戻りました。海響館に戻ったのは集合時間の3分前。ほぼ予定通りの廃線観光でありました。


海響館



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/01/11(月) 12:27 | | #[ 編集]
コメントありがとうございます。いただいた情報は記事に反映しました。
2016/01/11(月) 20:28 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://haisentn.blog41.fc2.com/tb.php/64-06b8b8de
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック