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鞆の浦歴史民俗資料館(鞆城跡)から見た鞆の浦

帰省に同行した同僚の行きたいスポットの中に「大和ミュージアム」(広島県呉市)と共に、同じ広島県内の「鞆」(広島県福山市)があったそうです。鞆は数年前に「鞆の浦埋立て架橋計画問題」で全国的に話題になっていたので、道路趣味者の私としても多少なりとも興味を誘われていた為、この機会に現地に行ってみる事にしたのでした。


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「鞆の浦埋立て架橋計画」とは、江戸時代以来の鞆の街路を通過する狭隘な広島県道47号線(鞆松永線)を、港湾の埋め立て(A地点~常夜燈付近のL=400m)と架橋(常夜燈付近~B地点のL=150m)によってバイパスする昭和58(1983)年に計画された道路事業です。このようなバイパス計画は全国各地の海岸線沿いで見られるものですが、鞆の浦が世界遺産にも値する風光明媚な景勝地だった事から、福山市の内外で建設反対運動が激化し、ついに平成24(2012)年に広島県は架橋計画の中止と山側にトンネルを掘削する方針を示しました。


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埋立て架橋案

鞆を迂回するバイパスの実現を模索する過程で「沈埋トンネル案」も検討された事もありますが、この案は橋梁、山側トンネルに比べて建設費が高価である上に、景観も無傷では済まないため早々に却下されています。


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山側トンネル案

今や最も現実的となった山側トンネル案は鞆市街地を大きく迂回しすぎている為、観光客等による通過交通をどれだけ減らせるか問われると疑問符を付けざるを得ません。地元住民に一番支持されているのは埋立架橋案らしいけど今更実現は不可能だろうな。ちなみに鞆を迂回するバイパスは昭和50(1975)年頃にも計画され、実際に一部は開通もしましたが(地図上に示した未成道)、最終的にこのバイパスは沼名前神社と鞆小学校に阻まれ全通する事なく頓挫してしまいました。





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【C地点】 鞆の浦歴史民俗資料館(鞆城跡)と駐車場

それでは駐車場(有料)がある歴史民俗資料館から鞆の街並みを歩いてみましょう。
鞆の浦歴史民俗資料館が建つ小高い丘は戦国時代に毛利氏によって築かれた鞆城の跡地で、織田信長によって京を追放された室町幕府最後の将軍・足利義昭が本拠地とした事から鞆幕府などとも呼ばれていたそうです。せっかくの歴史ある城跡も本丸にハコモノが建てられてしまっては雰囲気も台無しですけど…。鞆の景観を云々するなら、まずはこの城跡のハコモノからどうにかして欲しいなあ。


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「鞆の浦歴史民俗資料館」の入場券



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歴史民俗資料館駐車場の向かいに建つ商家
(間の道路は県道47号線)

鞆の津の商家

この建物は、母屋、土蔵とも江戸末期の商家であった。母屋の内部は通り庭形式の三間取りで、店の間、中の間、奥の間の蚕室を配し、商家の建築様式の一つである。入口の格子や吊り大戸は、建築当初のものに復元した。
土蔵は、全部和釘(角釘)を使用し、幕末頃に流行した登り梁造りになっている。なお、この土蔵は明治末期に移築したものである。
その後、明治二十七年設立の「鞆製網合資会社」の建物となり、漁網製造を中心に漁具・船具を北海道から東南アジアまで広範囲に販売する会社であった。

(福山市教育委員会の案内板より)



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【B地点】 架橋予定地

埋立て架橋案では、この付近から常夜燈に向けて海上に約150mの橋梁が架けられる事になっていました。もし実現していれば港湾の風景は一変していたに違いありません。


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【B地点】 架橋予定地付近の雁木(階段状の船着場)



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【B地点】 狭隘区間の始まり

県道22号線(福山鞆線)の終点と県道47号線を結ぶ市道は一方通行の狭路。ここから約700mに渡って鞆の狭隘区間が始まります。


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【D地点】 県道47号線との交差点



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【D地点】 県道47号線との交差点(反対側から)

市道と県道47号線との交点には道路整備(架橋)の早期実現を訴える看板が掲げられていました。余所者がいくら「景観だ!景観だ!」と騒いでみたところで、地元住民の大半は生活に便利な架橋を望んでいるそうです。まあ、私が地元民でもトンネル案よりも架橋案を支持するだろうな。


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【D地点】 狭隘県道での離合風景

私もカーナビの案内に従って松永側から鞆の狭隘区間を通り抜けてみましたが、限られた場所にしか離合可能なスペースがなく非常に運転し辛い区間だったと思います。もう一度この区間を通るのは気が進まなかったので、帰りは県道22号線で福山東インターに向かいました。


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【E地点】 県道47号線から常夜燈への入口

道路趣味者としては700m程度なら狭隘区間を歩き通したいところだったけど、この日は耐え難い猛暑日だったので民俗資料館から常夜燈までの往復に留めておきました。


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太田家住宅

維新の夜明けも近い1863(文久3)年8月18日、尊王攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は、公武合体派に追われ都落ちをしました。一行は、ここ旧「保命酒屋」に立ち寄り、その時、三条実美は、保命酒(竹の葉と表現)をたたえる和歌を残しました。主屋の太田家住宅と向いの「朝宗亭」は、18世紀中頃~19世紀初期の建物であり、共に国の重要文化財に指定されています。

(現地の案内板より)



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常夜燈と「いろは丸展示館」

「いろは丸」とは幕末期に伊予大洲藩が所有していた蒸気船です。この船を借り受けた坂本龍馬率いる海援隊が瀬戸内海を航行中に紀州藩の明光丸と衝突し、「いろは丸」の方は沈没してしまいました。館内には「いろは丸」の引き揚げ物等の資料が展示されている他、龍馬の隠れ部屋が再現されていました。なお、「いろは丸展示館」に利用されている土蔵は江戸時代の建造で国の登録有形文化財に指定されています。


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常夜燈

鞆のシンボルとも言うべき常夜燈は安政6(1859)年の竣工。もし架橋案が実現していれば、この常夜燈の背後に橋梁と埋立てによる新道が出現していました。余所者の私があれこれ言うつもりはありませんが、この風景が守られた事については素直に喜びたいです。


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鞆周辺地図



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