奥道後ロープウェイ01
杉立山より松山市街展望
(奥道後ロープウェイの「ゆうなぎ号」)

愛媛県松山市の奥座敷と言われる奥道後温泉からは、かつては松山市街を一望できる杉立山(松山市杉立町)に向けて観光ロープウェイ(奥道後ロープウェイ)が営業していました。奥道後ロープウェイは奥道後の観光開発の一つとして昭和39(1964)年にホテル奥道後が開業、バブル期には多くの観光客で賑わいましたが、近年では社会情勢の変化と奥道後の観光産業が衰退した事に伴い乗客は激減し、遂に平成21(2009)年12月からは運行休止となり現在に至っています。



奥道後ロープウェイ02
奥道後駅に停車中の「あさなぎ号」
(平成20年2月18日撮影)

廃止される約2年前の奥道後ロープウェイ。この写真は私が松山に住んでた当時、奥道後でやってたバイキングがちょっと有名になっていて、それを食べに来た時にたまたま撮影していた一枚です。運行時の奥道後ロープウェイは9:30~16:30まで30分間隔の運転、運賃は往復1,000円(小人500円)でした。

※ロープウェイの廃線跡には以前紹介した奥多摩湖ロープウェイ(小河内観光開発)等がありますよ。


奥道後ロープウェイ03
奥道後ロープウェイ周辺地図

地図を見る限りでは山頂駅までロープウェイを使わなくても車で行けそうに見えます。夏休みの帰省時に覚えてたら駅跡を見に行ってみる事にしよう。




奥道後ロープウェイ04
みかえり橋

食後にホテル奥道後の周辺を散策していると寂れた感じの観光遊歩道に辿り着きました。遊歩道を進むと湧ヶ淵の入口には「みかえり橋」という名の太鼓橋が架かっており、その先は閉鎖された廃隧道へと続いています。この廃っぽい遊歩道、私が子供だった25年ほど前(平成元年頃)に歩いた事があるような記憶が…。

湧ヶ淵の伝説

この界隈は昔からこの川沿いの周辺に温湯の湧きでているところがあることから湧ヶ淵と呼ばれ、数億年の歳月をかけて水の流れが作り上げた花崗岩の渓谷で、ごらんのとおり、奇岩奇跡は大自然の造形の美の深さを物語っており、全国でもまれな景勝の地として知られ、この淵にまつわる伝説として次のような興味深いものが語り伝えられています。
「元和年間(一六一五~一六二三年)この淵に大蛇が棲み夜な夜な美女に化身して通行人をたぶらかしては蒼く澄んだ淵に誘いこみ命を奪うなどの害を及ぼしたと云う。そこで湯山菊ヶ森城主三好長門守秀吉の長男蔵三郎秀勝が一夜ひそかに淵のほとりに潜んで突如水上に現れた美女めがけて鉄砲をうちこんだところ天地も崩れんばかりの鳴動と共に淵の水は渦を巻き、翌朝、果たして大蛇の死骸が浮かび血の流れは三日三晩つづいたという。それ以来怪しい美女は二度と現れなかった。」
因にこの大蛇の頭骨はその後三好家に代々伝えられておりましたが、最近奥道後開発事業が進むにつれて当奥道後観光が三好家よりこれを譲り受け、祠を建てて祀ることにしたのであります。

蛇を斬った 岩と聞けば淵寒し 漱石

(現地の案内板より)



奥道後ロープウェイ05
不動滝トンネル(仮)入口

洞内を遊歩道と水路が折半している不動滝トンネルは50mほどの長さ。竣工したのは後述の事情から昭和30年代半ば頃だと思われます。


奥道後ロープウェイ06
不動滝トンネル(仮)出口

トンネルの出口には破損した門が設けられて遊歩道が廃道となっていた平成20年2月現在では、この門が閉鎖ゲートの役割を果たしていました。


奥道後ロープウェイ07
トンネル出口と不動滝

対岸から不動滝トンネル(仮)の出口を見てみると、トンネル内水路から流れ出た水は瀑布となって石手川に降り注いでいます。坑口には「不動滝」と記された看板も設置されており、地図や現地を見る限り不動滝トンネル(水路トンネル)を建設した目的は用水とかではなく、滝と通路(遊歩道)を生み出す為だけの観光にある事は明らかです。


奥道後ロープウェイ08
錦晴殿
(観光絵葉書より)

そしてトンネルから石手川の断崖を約50mほど進んだ遊歩道の終点には金閣寺を模した錦晴殿がありました。この錦晴殿は焼失前の金閣寺を忠実に再現した建造物として高い評価を受けており、奥道後でも有数の観光スポットでした。しかしながら奥道後の観光産業が斜陽となって久しい平成13(2001)年に発生した豪雨災害によって完全に流失してしまい、以後は再建されないまま現在に至っています。私がこの廃遊歩道を歩いた事があったのは、子供の頃に錦晴殿に来た事があったからだと現地の案内板を目にして思い出しました。すっかり忘れてたけど錦晴殿流失した時もローカルニュースで大々的に取り上げられてたよう気がする。


奥道後ロープウェイ09
錦晴殿
(現地の案内板より)

錦晴殿跡地

奥道後の創設者でもある故坪内壽夫翁が文化庁長官今日出海氏の兄である作家の今東光氏の依頼を受け、昭和三十六年に着手。文化庁が保存していた図面を元に、文化庁職員の指導を受け材料、寸法ともにあくまで焼失前の金閣寺を忠実に再現しました。金箔九万五千枚を使い昭和四十一年に落成しました。
京都の金閣寺が焼失前とは異なることから奥道後の金閣寺は高い評価を受けていましたが、平成十三年六月の大雨で土砂崩れが起き建物は崩落致しました。
丁度この正面に見えている山の斜面に錦晴殿が建立されていました。

(現地の案内板より)



奥道後ロープウェイ10
流失から7年後の錦晴殿跡
(平成20年2月16日撮影)



奥道後ロープウェイ11
錦晴殿周辺地図



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コメント
この記事へのコメント
これらの風景は、仮面ライダーシリーズのロケ地としてもファンの間でも有名です。
それにして錦晴殿が倒壊していたとは、思いませんでした。創建者が、足利義満と自らを同一視したかの様な思い上がりに本家鹿苑寺の仏様がお怒りになったのでしょうか・・・。
2016/06/06(月) 17:27 | URL | 笑太郎 #iNp6OJto[ 編集]
こんばんは。コメントありがとうございます。
錦晴殿には幼少期に一度行っただけですが、金閣寺にうり二つの造りだったことを記憶してます。それだけに笑太郎さんのコメントが説得力をもって受け止められるところです。
2016/06/07(火) 21:32 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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