鬼淵橋01
王瀧森林鉄道鬼淵附近
(木曽川橋梁を渡るボールドウィン機関車による牽引列車)

「この場所は今…」。
今回は長野県木曽郡上松町の木曽川に架かる、木曽森林鉄道(王瀧森林鉄)の木曽川橋梁(鬼淵橋)についてご紹介。


鬼淵橋02
鬼淵橋
【近代土木遺産Cランク】

木曽川橋梁(以下、鬼淵橋)は総延長が400kmにも達すると言われた日本最大級の林鉄である木曽森林鉄道の支線の一つ、上松と小中尾を結んでいた小川線(L=10.3km)に属していた橋梁です。
小川線が小中尾まで全通したのは大正5(1916)。鬼淵橋はそれに先立つ大正3年に架けられ、昭和50(1975)年に木曽森林鉄道が全廃となるまで林鉄橋として利用されました。林鉄廃止の翌昭和51年には早くも道路橋(長野県道508号・上松南木曽線)に転用(この時に木曽川橋梁から鬼淵橋に改称した)されたものの、車両の離合ができない事に加えて老朽化も進んできた事から、平成8(1996)年にすぐ下流側に(新)鬼淵橋が開通。林鉄以来の(旧)鬼淵橋は車道としても廃止され80年の歴史に幕を閉じました。
絵葉書との比較では鋼トラスは架橋当時の物が残っているようですが、石積みと思しき橋脚はコンクリートに覆われてしまっています。

【木曽川橋梁(鬼淵橋)】
大正3年竣工→昭和51年車道化→平成8年廃止
延長93.8m
鋼プラットトラス
地図


鬼淵橋03
新旧の鬼淵橋(左岸から)

木曽森林鉄道と鬼淵鉄橋

大正時代になって、日本の鉄橋(トラス橋)は鋼材や製作が全て日本の技術で作ることができるようになりました。木曽森林鉄道の鬼淵鉄橋は現存する国産最古のトラス橋だといわれています。
大正三年、宮内省土木技師三根奇能夫の設計で大阪の横河橋梁製作が作った鬼淵鉄橋は、全長九十三・八メートル。完成から昭和五十年まで森林鉄道の鉄橋として使われてきました。
各地で森林鉄道は相次いで廃止されましたが、木曽森林鉄道は日本で最後まで運行され、この鬼淵鉄橋の上でフィナーレが行われました。

(現地の案内板より)



鬼淵橋04
(旧)鬼淵鉄橋



鬼淵橋05
旧橋に残る碍子と電線



鬼淵橋06
新旧の鬼淵橋(右岸から)






鬼淵橋07
木曽森林鉄道のディーゼル機関車

鬼淵橋から木曽川を約12km下った木曽郡大桑村の須原発電所(大正11年竣工)敷地内には、木曽森林鉄道を最後まで走ったディーゼル機関車が静態保存されていました。

地図

日本最後の森林鉄道のディーゼル機関車

日本の木材輸送は、明治時代には川流し中心であった。
大正時代に入ると水力発電所の建設が盛んになり、ダムが建設されたため、川流しによる運材が制限された。このため新しい能率的な輸送施設として森林鉄道が開発された。
当時木曽川水系には、小川・王滝・阿寺など森林鉄道が出現した。この森林鉄道は、大正六年に着工し六年の歳月をかけて完成。上松から三浦発電所まで運転しており、三浦・滝越地域の人々は森林鉄道の廃止まで機関車が唯一の交通手段でもあった。ところが木曽川の水力建設の発展と交通機関の発達により木曽材の運搬も自動車運搬に変わり、昭和五十年五月上松から滝越まで廃止され、昭和五十四年五月全線が廃止された。

ディーゼル機関車:P型 七頓 一台
客車:一両
昭和十四年 加藤製作所製

(現地の案内板より)



鬼淵橋08
須原発電所
【近代土木遺産Bランク】


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://haisentn.blog41.fc2.com/tb.php/418-7b0aeec2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック