伊予索道地図

喜多郡の銅鉱山である大瀬鉱山㈱は明治42(1909)年の創立以来、鉱石搬出を中山村出渕までは索道(大瀬鉱山索道)で、出渕~郡中間は馬車にて行っていましたが、馬車による運賃が鉱山の経営を圧迫していた為、伊予鉄道によって出渕~郡中間の索道延伸が計画されました。
建設工事は大正3(1914)年2月に起工し、同年7月末には総工費20万円で完工しています。翌8月27日から伊予索道として郡中港~出渕間約14kmが開業。郡中の港と大瀬鉱山が索道によって結ばれました。
停車場は郡中、大平、日浦、中山、出渕の5箇所に設けられ、鉱石の他に普通荷物の取り扱いも行われていたようです。
開業直後の伊予索道は大瀬鉱山の好況もあって昼夜兼行で稼動していましたが、僅か6年後の大正9年には大瀬鉱山は休山してしまいます。この為、不要になった日浦~大瀬鉱山間は廃止され、新たに日浦~広田鉱山(銅鉱山)間の索道路線を開設しています。しかし、広田鉱山も昭和恐慌のあおりを受け昭和5(1930)年9月に休山(後に再鉱)となり、伊予索道は開業から僅か16年で使命を終え廃止されました。この間に搬出された銅鉱石は大瀬鉱山が24万t、広田鉱山が180万tにも及んでいます。

【伊予索道】
形式  :ロー式架空単線
延長  :約14km
区画  :二区画(郡中~日浦間、日浦~出渕間)
速度  :分速375フィート(時速6.75km)
運搬量:下げ荷=12t/h、上げ荷=2t/h


伊予索道1
伊予鉄道 郡中駅(奥が松山市方面)

索道郡中駅は郡中駅(明治29年開業)の東隣(写真右側)に置かれていました。往時は鉱石倉や駅舎が設置され鉄道の引込み線も引かれていましたが、現在では住宅地になっていて跡形もありません。索道と連絡していた頃の郡中駅は郡中線の終着駅でしたが、昭和12年に郡中港まで0.6km延伸して中間駅になりました。
ちなみに郡中駅の1日当りの乗車人数は昭和7(1932)年で445人、平成18(2006)年では526人となっています。


伊予索道2
伊豫鐵道と伊豫索道の連絡せる郡中驛

郡中駅に到着した鉱石は鉱石倉に納められた後、伊予鉄の貨物列車や郡中港から出航する貨物船によって四阪島などの精錬所へ運ばれ、空になったバケツ(搬器)には生活物資等の上げ荷が積み込まれ中山方面へ戻っていきました。右側(西側)に写っているのが鉄道の郡中駅です。


伊予索道3
伊豫索道株式會社 郡中驛鉱石倉



伊予索道4
伊予市大平
中央の道路は県道53号線(大平砥部線)

郡中を出た索道線は米湊、稲荷を経由して一直線に南下し、約5kmで一つ目の駅である「大平駅」に至ります。写真の範囲のどこかに索道の駅があったはずですが、聞き取りの出来そうな人も見当たらなかったので跡地を特定することは出来ませんでした。これは今後の課題としときます。
大平地区周辺には鉱山は無いので、ここから積まれる下げ荷は唐川びわ等の農産物が中心を占めていたのではないかと思われます。
同地区には現在、予讃線の伊予大平駅がありますが、これは昭和61年に開通した新線(内山線)の駅なので索道駅とは無関係です。


伊予索道5
伊予市平岡(県道225号)から大平と伊予灘を見下ろす
索道は地形に関係なく駅間を一直線に結んでいた



伊予索道6
三十米突鋼製支柱(左)と三十五米突鋼製支柱(右)

伊予索道には多くの支柱が建てられていましたが、その中でも最大規模の物は30m~35mの高さを誇っていました。この二つの支柱が建っていた場所は分かりませんが、最も高低差が大きくなる大平~日浦間にあったのではないでしょうか。これら鋼索及び運行機器類は東京のジェームスモリソン商会を通じ、イギリスのロンドンロープウェー㈱から購入した物です。鉄材は廃線後に売却されているでしょうが、支柱の土台ぐらいは山中のどこかに残っている可能瀬があるのではないかと思います。


伊予索道7
大平地区から平岡地区を見上げる

写真中央の山の形が左上の写真の山に似ているような気が…。ただ、この山が同一の場所だとすると歴地形図に描かれている索道線とは約500mのズレが生じるため断定は出来ません。現地で精査した訳ではないのでここも要再調査としておきます。


伊予索道8
日浦停車場跡(奥が郡中方面)

次の日浦駅は中山町佐礼谷にあり、索道を起動する為の60馬力ガスエンジンが設置されており、伊予索道の心臓部とも言うべき駅で、大正3年~9年までは中山を経て大瀬鉱山と、大正9年から昭和5年までは広田鉱山と接続していました。日浦駅周辺にも佐礼谷鉱山、大谷鉱山、階上鉱山、寺野鉱山、越木鉱山、宮本鉱山など大小多くの鉱山が開かれていて、特に寺野鉱山は一時期は別子銅山を凌ぐ程の採掘量があり、これらの中心駅となった日浦は大変栄えていたそうです。この辺の鉱山跡も機会があればいずれ調査してみたいと思います。
地元の人への聞き取り調査によると駅跡は県道221号線(広田双海線)と225号線(中山伊予線)の交差点の拡幅用地なったそうで、痕跡は何も残ってないとの事です。


伊予索道9
中山町役場前交差点

旧中山町の中心部には「中山」と「出渕」の二駅が設置されていました。旧中山町には駅を設置できるスペースは中山川沿いの僅かな平地に限られている事から、この二駅は川を挟んでかなり近接した位置にあったものと考えられます(右岸が中山、左岸が出渕)。


伊予索道10
伊豫索道株式會社 中山驛停車場

80歳ぐらいのお爺さんに聞き取り調査をしてみましたが、既に廃線から90年近く経過している為、索道駅についてはご存知ではなく(上の写真を見ても全く場所はわからないそうです)、「内子の熊ノ滝(大瀬鉱山)から索道で鉱石が運ばれて来ていたという話を聞いた事がある」との証言を得られるに止まりました。中山町から伊予索道の記憶は風化しつつあるようです。ただ、昭和30年頃まで操業していた中山鉱山等の事はよく覚えてらして、中山鉱山でも坑口から国道までの間に小規模な索道が使われていた事を教えて頂きました。


伊予索道11
日南登地区から出渕地区を見下ろす



伊予索道12
内子町大瀬北熊ノ滝

出渕から山を越えた大瀬鉱山跡。操業時には20を越える坑口が掘られていたと言う事ですが、鉱山関連の遺構を見付ける事は出来ませんでした。今では長閑な農村そのものです。


伊予索道13
広田鉱山 ダンピングカー軌道跡

広田鉱山跡には玉谷川と国道を跨いで坑口とホッパーを結んでいたコンクリート橋の一部が残っていました。広田鉱山は昭和5年に休山した後、昭和39年から45年まで再鉱されています。このコンクリート橋とホッパーも造りからして再鉱時に建造された物と見られます。この時、時代は既にトラック輸送の全盛を迎えており、索道が復活する事はありませんでした。


伊予索道14
広田鉱山跡

鉱山の敷地の大部分は道の駅ひろた「峡の館」に転用されています。コンクリート橋の先にあった坑口は廃鉱後に埋められたそうです。


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コメント
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2010/03/06(土) 23:21 | | #[ 編集]
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2010/11/18(木) 20:31 | | #[ 編集]
本記事、大変興味深く読ませて頂きました。
私は実家が大洲で、先日たまたま道の駅ひろたに寄った際に見た朽ちた橋脚が何か検索してたどり着いたのですが、昔にこんな大規模な物があったとは知りませんでした。記事を読んだだけでも、昔を想像してワクワクしました。
実家の近くにも廃坑があるという話を聞いたこともあるので、次に実家に帰った時は、近くに何か遺跡など無いか調べて探検してみたいと思いました。
2014/09/05(金) 13:03 | URL | mi #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
廃坑で何か発見出来たら教えて下さい。
2014/09/08(月) 01:09 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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