童学寺隧道01
【A地点】 旧県道20号線から石井交差点を見る

童学寺隧道への旧道は、現在の徳島県道20号線(石井神山線)の起点から国道192号線を東に約500m進んだ石井交差点から始まります。私が訪問した平成13年6月には既に新童学寺トンネルが開通(平成13年3月24日開通)していましたが、旧県道の起点である石井交差点の青看にも県道と行先(神山)の表示が残っていたので、旧道化している事を知らないまま入り込み、隧道を抜けた先で唐突に新道と合流して驚いたものです。

※今回の記事の写真は主に平成13年6月24日に撮影した物を使ってます。現在は旧童学寺隧道は閉鎖されているほか、道路状況も最近とは異なっている所があるかもしれません。


童学寺隧道02
【B地点】 前山総合公園前

旧道は起点からしばらくの間は市街地内の1.5車線道路です。約1㎞ほど南下して前山総合公園を過ぎると町境(石井町~神山町)の山に遮られ童学寺越えの峠道が始まります。
旧道落ちしてから3年後の平成16年3月には不法投棄を防止する為、ここから少し先の場所にチェーンが張られると同時に、童学寺隧道の両坑口もコンクリート壁によって閉じられてしまいました。平成25年現在もこの状態は続いているので、石井側の坑門を見る為には約2㎞の距離を歩くか2輪車等の軽車両で侵入する必要があります。


童学寺隧道03
【B地点】にあった県道標識
平成15年に来た時には撤去されていた。



童学寺隧道04
【C地点】 旧県道

閉鎖された旧道区間は現行の地形図では点線表記になっています。最近まで町同士を結ぶ主要地方道だっただけあって概ね1.5車線程度の幅は確保されているものの、隧道までの約2㎞は平均勾配5%の登り坂に加えて、見通しの悪い旧カーブが連続するというストレスの溜まる道でした。私は隧道がまだ現役の平成7年頃に父の運転する車で通り抜けた事があります。


童学寺隧道05
【D地点】 待避所程度の短いセンターライン区間がある



童学寺隧道06
【D地点】付近から見下ろした石井町の中心部

石井側の峠道の道中には通称「遥拝所」と呼ばれる休憩スポットがあったそうです。これは石井町周辺の広大な平野を遠く阿讃山脈まで一望できる事から自然と足を止める人が増えた事による物で、今となってはその場所は不明ですが、旧道には確かに優れたビューポイントが存在します。





童学寺隧道07
【E地点】 衝突痕が生々しい隧道前の制限ゲート
(平成13年6月24日撮影)



童学寺隧道08
【E地点】 新調された隧道前の制限ゲート
(平成15年7月6日撮影)

石井側の坑口は深い切り通しになっていて、入口部分には隧道の制限ゲート(幅3.4m、高さ3.3m)が設置されていました。当初は旧隧道も町道として通れる状態を維持するつもりだったみたいで、このゲートは旧道化してから隧道が塞がれるまでの僅か3年の間に新調されています。新しくなったゲートを一体どれだけの車が潜ったのかと思うと勿体ないと言わざるを得ません。





童学寺隧道09
徳島縣名西郡 童学寺越隧道
(開通記念絵葉書)



童学寺隧道10
塞がれる前日の童学寺隧道石井側坑口
マフ巻氏提供)

上の絵葉書は「童学寺越隧道開通記念絵葉書」の内の1枚。開通記念と言うぐらいだから大正2(1913)年の内に撮られたものでしょう。そして下の写真は相互リンク先のマフラー巻氏が、童学寺隧道が塞がれる前日の平成16(2004)年3月9日に撮影された貴重な写真です。
童学寺越隧道の誕生と最期を写した二つの写真を比較すると、坑門や擁壁等の構造物が実に91年もの月日が経過しているとは思えないほど当時のままの形で現存している事が分かります。もちろん、老朽化は見た目には見えない所で進んでいたんでしょうけど。





童学寺隧道11
童学寺隧道 石井側坑口

深い切通しの奥に位置している為、昼なお暗い石井側の坑門。

【童学寺隧道】
大正2(1913)年竣工、延長220.0m、幅員3.0m、高さ4.3m

平成13(2001)年3月24日旧道化
平成16(2004)年3月10日閉鎖


童学寺隧道12
扁額
「大正二年 童学寺越隧道」



童学寺隧道13
隧道内部

竣工時は全長220mの内、180mが煉瓦及びコンクリートで巻き立てられ、残りの40mが素掘りだったと伝わっています。私が訪れた末期には補修の結果か素掘り部分は見られませんでした。


童学寺隧道14
童学寺隧道 神山側坑口

神山側の坑門は平成7(1995)年に訪れた時には石井側と同じ煉瓦造りの坑門でしたが、平成13年に再訪するとシェッド状のコンクリートで延伸されてしまっていました。これは、おそらく平成8年に北海道で起こった豊浜トンネル岩盤崩落事故の影響を受けての措置でしょう。
また、こちら側の坑門前には童学寺隧道を含む新道の開通記念碑が建っています。以下に碑文を紹介。


名西郡成於十二町村以前山山脈二分之南六村曰山■北■■
村曰里分其間■在幾多之通路未改険隘之■態依然委鳥■■
道不當不得開郡之寶庫不能同■情風俗病妨郡勢伸張成久■
會山■相結開六村貫通車道明治三十三年計画其連絡干前山
提三條之比較線諮問郡會郡會答之以延期干明治四十年度乃
及其期至新測定線路亘明治四十五年度為六年継続工事始■
就其緒越於四十一年度起工初設計隧道両端延長百八十尺之
練瓦巻而當寶行岩質脆弱之所多顕更至要延長四百二十尺之
練瓦及混凝土巻於此増経費加施行期一年以大正二年度全告
成功其距離三千八十七間其経費六万八千百九十四圓此内■
郡費三万五千四百五十五圓縣補助金二万五百七十四圓夫役
現品見積代金一万二千百六十五圓其夫役現品應利益之厚■
分賦除高志村外十一町村予終始此事業故自勒其大要告後世



名西郡の十二町村(石井町、藍畑村、浦庄村、高原村、高川原村、阿野村、神領村、下分上山村、上分上山村、鬼籠野村、入田村、高志村)は山脈によって南北(現在の石井町域と神山町域)に二分されており、南北を結ぶ道路はいずれも未改修の険しい隘路だった。
南六村を貫通する車道が明治33(1900)年に計画され、明治40年度から45年度までの6年間継続して工事する事になり41年度に起工した。最初に設計した隧道は両端部分の180尺(54m)を煉瓦巻としていたが、岩質が脆弱な所が多数見られたので、更に420尺(126m)の煉瓦及びコンクリートによる巻き立てが必要となった。これにより経費が増大し、工期も1年延びて大正2(1913)年度に全通した。
工事延長3087間(5556m)の工事にかかった経費は68194円。これを郡費35455円、県補助金20574円、夫役・現品見積代金12165円で賄った。夫役現品については、高志村(現在の板野郡上板町南部)を除く名西郡11町村に道路開通による受益の厚薄に応じて課す事にした。





童学寺隧道15
シェッド内に残っていた神山側の煉瓦坑門



童学寺隧道24
竣工時の神山側の煉瓦坑門
(開通記念絵葉書より)



童学寺隧道25
扁額
「童学寺越隧道」



童学寺隧道17
神山側坑口脇の廃屋
隧道と共に心理スポットの噂もあるが…






童学寺隧道18
【F地点】 神山側旧道
(平成13年6月24日撮影)



童学寺隧道19
【F地点】 神山側旧道
(平成15年7月6日撮影)

神山側も旧道落ちしてから舗装が新しくなり、新たにガードレールが設置されていました。舗装はまだしもガードレールは交通量が多かった現道時代にこそ必要だった訳で、旧道になってから設置しても意味あるんですかね?この辺の道路管理者の感覚は理解しかねる所です。





童学寺隧道20
【G地点】 神山側旧道



童学寺隧道21
【H地点】 新旧合流地点(旧道から)

隧道から1㎞ほど下った所が新旧合流地点です。石井町の別々の起点から始まった新道と旧道がここで初めて一つになります。


童学寺隧道22
【H地点】 新旧合流地点(新道から)



童学寺隧道23
新童学寺トンネル神山側坑口
(平成12年3月竣工、延長641m)



童学寺隧道26



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コメント
この記事へのコメント
私の出身地近くです。学生時代にバイトが遅くなって夜中にこのトンネルを通りましたけど、気絶寸前でした。(T_T)
2016/01/02(土) 09:53 | URL | 天ノ原翁 #-[ 編集]
こんばんは。私も20年ほど前、現役時代に通り抜けましたが、狭くて不気味な隧道だったと思います。
2016/01/05(火) 20:51 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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