東京駅01
東京駅舎
(平成24年10月7日撮影)

平成19(2007)年4月から着工していた「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」が5年半の歳月をかけて10月1日に竣工したという報道を見掛けたのでさっそく見に行ってきました。
この復原工事は東京駅が開業した大正3(1914)年に竣工した東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎の内、昭和20年5月25日の空襲で焼失した3階と南北2ヶ所のドーム部分を再建して、約80年ぶりに開業当時の外観を復元した事業です。
今回は復原工事が本格化する前の平成20年に撮っていた写真と比較しながら東京駅舎を紹介します。


東京駅02
東京駅舎(平成3年発行記念入場券より)
【近代土木遺産Aランク】

復原工事着工前の東京駅舎。
戦後の駅舎は空襲被害が甚大であった3階部分は撤去され2階建てとなり、炎上焼失したドームは暫定的に八角形の屋根へと改造が施され、戦後の東京駅舎は70有余年の長きに渡ってこの姿で過ごしています。


東京駅27
開業間もない頃の東京駅舎(大正時代)



東京駅29
被災直後の東京駅舎



東京駅04
行幸通りから東京駅舎を見る
(2008年6月1日撮影)

東京駅と皇居を結ぶ約480mの行幸通り(都道404号線・皇居前東京停車場線)は大正15(1926)年に開通しました。その名の通り、天皇の行幸や外国大使の送迎を目的として建設された幅員73mという破格の高規格道路で、通常の車道・歩道の他に中央部に貴賓が乗車した馬車が通行する専用道を備えています。
今回の駅舎復原工事に合わせて中央部の馬車道は再整備され、馬車が通らない日常時には歩道として解放される事になりました。


東京駅03
行幸通りから東京駅舎を見る
(2010年4月17日撮影)

駅舎復原工事も大詰めを迎え駅舎全体がシートに覆われている状態。行幸道路の再整備はこの時には既に完成していました。


東京駅05
行幸通り
【近代土木遺産Bランク】
(2008年6月1日撮影)



東京駅06
復原後の駅舎中央部分と南北切妻部
(2012年10月7日撮影)



東京駅07
復原工事中の駅舎中央部分
(2008年4月5日撮影)



東京駅08
駅舎中央部分
(2012年10月7日撮影)



東京駅28
大嵐駅舎

本題とは直接関係はないですが、三遠南信の山奥にある飯田線大嵐駅(静岡県浜松市)の駅舎は東京駅舎を模して造られているそうです。


東京駅11
復原後の南ドーム
(2012年10月7日撮影)



東京駅12
復原前の八角屋根の南ドーム
(2008年6月1日撮影)



東京駅13
復原後の東京駅舎
(2012年10月7日撮影)



東京駅14
復原前の東京駅舎
(2008年6月1日撮影)



東京駅17
東京中央郵便局
(2012年10月7日撮影)

東京駅に隣接している東京中央郵便局の旧局舎(昭和6年竣工)については以前の記事で「保存か取り壊しか、今後の成り行きに注目したい」と締ましたが、JPタワー(地上38階、地下4階)が完成した今でも見た目には現存していました。
2010年に来た時には旧局舎が真っ二つになっていた(下の写真)ので取り壊し工事が始まったのかと勝手に思い込んでましたけど、「歴史的景観と調和するように一部保存」という形で決着していたらしいです。


東京駅16
真っ二つになっていた東京中央郵便局の旧局舎
(2010年4月17日撮影)



東京駅15
廃止前の東京中央郵便局の旧局舎
(2008年6月6日撮影)



東京駅18
東京駅~中央郵便局間の赤煉瓦地下通路跡
【近代土木遺産Bランク】
(2008年6月2日撮影)



東京駅19
復原後の北ドーム
(2012年10月7日撮影)

それにしても復原後初めての日曜日(しかも連休中)という事もあってか駅前は大変な混雑です。電車に載るために駅舎内に入るのにも一苦労でした。


東京駅20
復原前の八角屋根の北ドーム
(2008年4月5日撮影)



東京駅21
ドーム天井

ドーム部分は外観だけでなく内側も忠実に復元されていました。私は知りませんでしたが八角形の天井の四隅には干支のレリーフが取り付けられているんだそうです。


東京駅23
濱口首相遭難現場

東京駅では戦前に総理大臣の襲撃事件が2度起こっています。原敬(大正10年11月4日)と濱口雄幸(昭和5年11月14日)です。この日は新幹線改札付近にて濱口雄幸の遭難現場を示したポイント(ダイヤ型のタイル部分)を見付けました。

昭和5年11月14日午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号の1等車に向ってプラットホ-ムを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部附属病院で手術を受け、一時は快方に向ったが翌昭和6年8月26日死去した。犯人は、立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、凶行におよんだものといわれている。

(現地の案内板より)



東京駅25
主屋、勉強部屋などが残る濱口雄幸生家跡
(高知県高知市)



東京駅26
五台山に建つ濱口雄幸像



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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりです。つまらないことですが。
濱口首相遭難現場ですが、実は2度移設されています。
もともとは、東海道線の9、10番ホーム上にあったものが、コンコースの拡幅で、真の現場がホームではなくなったため、中央口北階段の途中に移りました(この時期のポイントは記憶にあります)。つぎに東北上越新幹線のホーム増設のため、中央線ホームを上空に作り、1つずつホームをずらした際に、その階段さえ無くなったため真の現場の上部にあたる新幹線ホームではなく、直下にあたる現在の場所に移設されました。
史跡の維持も大変ですね。
2012/10/11(木) 16:11 | URL | 高橋ま #SFo5/nok[ 編集]
こんばんは。
80年も前の現場がそのまま残っているんだろうかと疑問に思ってましたがお陰で納得しました。
ありがとうございます。
2012/10/11(木) 22:15 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
蛇足ですが。
原首相遭難現場のマークのほうは、丸の内南口改札を出てすぐの91年前の現場そのものに、今でもあるはずです。
2012/10/19(金) 17:56 | URL | 高橋ま #-[ 編集]
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