和田峠01
諏訪湖SA(下り線)より諏訪湖

先日、家族を連れて諏訪へ行ってきた時に、下諏訪~長和町境の和田峠を再訪してきました。


和田峠02
諏訪高島城

一応、観光がメインなので諏訪の高島城などを見学します。
諏訪の地は古代から近代まで戦国時代の一部を除いて一貫して、諏訪大社の大祝である諏訪氏が治めていました。高島城は諏訪氏が徳川家康に従って関東に移されていた1592年に日根野氏によって築城され、諏訪氏が1601年に諏訪に復帰してからは諏訪藩3万石の居城となり明治維新を迎えました。
明治の廃城令に基づいて天守以下の建物は解体され跡地は高島公園となりましたが、昭和45年に天守、冠木門、角櫓などが復元されて現在に至っています。


和田峠03
【A地点】 国道142号線

今回の和田峠の探索は長和町東餅屋から開始します。
東餅屋には力餅を名物に掲げているドライブインが営業しており、前々から気になっていたのでここで昼食にする事にしました。

【東餅屋】

標高一五三一メートルの和田峠は急坂が多く降雪の際はもとより、雨や霧の日も旅人は難渋した。この峠の唐沢、東・西餅屋、樋橋、落合に茶屋があり人馬の休息所となっていた。
この東餅屋では、五軒の茶屋が名物の餅を売っていた。寛永年間(一六二四~一六四三)より、一軒に一人扶持(一日玄米五合)を幕府から与えられ難渋する旅人の救助にもあたっていた。幕末には大名休息のための茶屋本陣もおかれ土屋氏が勤めていた。鉄道が開通するとともに往来も途絶え、五軒の茶屋も店をたたみ、今は(ドライブイン以外家はなく)石垣を残すのみである。

(文化庁、長野県、和田村による案内板より)



和田峠04
ちからそばと山菜そば

ドライブインでは力餅の他に蕎麦、うどん類も商っています。うちは「ちからそば」、「山菜そば」に「みそおでん」をオーダーしました。美味かったですよ。


和田峠05
みそおでん



和田峠06
力餅

力餅は店内でも食する事が出来ますが蕎麦で腹一杯になったので、白餅4個と焼餅4個が入ったお土産用の8個入(800円)を購入して帰りました。柔らかい粒餡餅に旅人の疲れを癒す為か、少し塩味が利かせてあって美味かったです。


和田峠07
【A地点】 ドライブイン前から長和方面を見る

食事の合間にドライブインの主人から聞いた話によると一昨日、この場所でカーブを曲がり切れずに対向車線に転倒したバイク(24歳の女)が対向してきた中型トラックに轢かれて死亡するという事故があったらしいです。心優しいドライブインの主人はしきりに憐れんでおりましたが、私は冷たい言い方だけど「無謀運転する単車は他人に迷惑かけずに単独事故で死ね」としか言えませんな。


和田峠08
【B地点】 峠橋下

前回の探索では新和田トンネル開通前まではスノーシェッドが設置されていたのではないかと想像した峠橋(ビーナスライン)下の狭窄箇所。門柱とも通称されるこのコンクリート塊をよくよく観察してみると、開削撤去された隧道跡地のごとく僅かに反り返っているのが確認できました。なぜここだけ残っているのか分かりませんが、おそらくスノーシェッドの基礎部分だったのでしょう。


和田峠09
門柱の拡大写真



和田峠10
【C地点】 和田峠トンネル長和側坑口

和田峠トンネルには今回は特に見るべき所はないので信号が青になるのを待って通り抜けます。

【和田峠トンネル】
昭和7(1932)年竣工
延長282m、幅員5.1m、制限高3.6m
近代土木遺産Cランク


和田峠11
【D地点】 和田峠トンネル下諏訪側坑口

前回の訪問後に下諏訪側坑口の写真を見るにつけて、容易に接近できそうな和田峠トンネル開通以前の旧道である峠の掘り割りを無視してしまった事を後悔していました。今回は明治道の痕跡を求めて峠まで登ってみようと思います。


和田峠13
峠への入口

現道との分岐点付近の明治道は和田峠トンネルの坑門建設による切り取りや崩土によって完全に消失していましたが、掘り割りの入口まで登ると本来の明治道の道形が現れました。前回も引用した建設中の和田峠トンネルの写真だと【現在地】はこの辺りです。


和田峠27
建設中の和田峠トンネルと明治道



和田峠12
【現在地】から明治道と現道の接続部を振り返る



和田峠14
和田峠(奥が長和側)

標高1531mの和田峠。峠の僅か数メートル直下には和田峠トンネルが貫通しています。
和田峠の明治道は江戸時代以来の旧中山道に代わって明治9(1876)年に開削されました。この新道は「紅葉橋新道」と名付けられ現在の国道142号線旧道の原型になっていますが、峠の切り通し部分は冬季の積雪が著しかった為、昭和7(1932)年に除雪トンネル(和田峠トンネル)が建設されました。


和田峠15
和田峠(奥が下諏訪側)



和田峠16
和田峠トンネル長和側の坑門上部

峠を過ぎると和田峠トンネルを抜けて来た現道が足元の地中から姿を現してきます。長和側の坑門部は明治道を真下に掘り下げて建設されているらしく、現道と重なる接続部分は完全に消失していました。


和田峠17
【C地点】 長和側坑門上からビーナスラインの峠橋を見る



和田峠26
【B地点】 峠橋から和田トンネル坑口と旧和田峠を見る

峠橋から見るとまるで峠の断面図を見ているようです。他所の峠ではあまり見られない面白い構図だと思います。


和田峠24
信州和田峠(戦前絵葉書)

今回の絵葉書は「信州和田峠 本邦最高國道にして海抜千幾百尺古来難所と講せらる」と題された1枚をご紹介。
旧和田峠を撮影した物と思われますが、現在の峠とは様相がまるで異なっており詳細は不明です。
和田峠の国道としての歴史は明治18(1885)年に「東京ヨリ神戸港ニ達スル別路線」である国道7号線に指定されたのを最初とし、大正9(1920)年の道路法でも引き続き国道14号線(東京市~京都府庁)の指定を受け、昭和28(1953)年には二級国道142号軽井沢諏訪線となりました。
なお、千幾百尺をメートルに換算しようとすると3~400mになってしまうので、絵葉書の「海抜千幾百尺」は「海抜千幾百米」の間違いだと思われます。


和田峠18
【E地点】 ビーナスライン和田峠出入口

折角だから最後にビーナスライン和田峠出入口から旧中山道の和田峠(古峠)を目指してみる事にしました。ここからだと古峠まで旧中山道を辿って約600mの道のりです。


和田峠19
旧中山道の入口に建つ「和田峠周辺案内図」



和田峠20
旧中山道(ビーナスラインからの入口付近)



和田峠21
【F地点】 古峠(奥が下諏訪側)

ヘアピンカーブを描くビーナスラインを2度横切って、和田峠出入口から歩くこと約10分で古峠に到着。古峠の標高は地形図読みで約1600mあり、1511mの和田峠出入口からだと90m登った事になります。峠は旧中山道と鷲ヶ峰(1797m)~三峰山(1887m)間の稜線道との交差点になっていて、中山道の碑や案内看板が設置されていました。

【古峠】

中山道設定以来、江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や一般旅人の通行、物資を運搬する牛馬の往き来などで賑わいをみせた峠である。頂上に、遠く御嶽山の遥拝所がある。冬季は寒気も強い上に、降雪量も多く、冬の和田峠越えの厳しさは想像を絶するものがあったであろう。
明治九年(一八七六)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋へ下る紅葉橋新道が開通したため、この峠は殆ど通る人はなくなり古峠の名を残すのみである。

(文化庁、長野県、和田村による案内板より)



和田峠22
峠から下諏訪側の眺め
遠く下諏訪の市街地が見える



和田峠23
古峠(奥が長和側)



和田峠25
【G地点】 ビーナスラインの長和~下諏訪町境

この後はビーナスラインを霧ヶ峰方面に向かい帰路につきました。ビーナスラインも和田峠(明治道)すぐ傍の中央分水嶺(1550m地点)を越えているので、ここも最も新しい和田峠の一つと言えるのかもしれないですね。


和田峠地図
和田峠周辺地図



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