荒川橋梁01
秩父鉄道 荒川橋梁

9月に入っても連日の猛暑が続いています。うちでは今夏は涼を求めて秩父の荒川(親鼻橋河原)まで川遊びに行ってきました。


荒川橋梁02
荒川橋梁周辺地図

私は家族サービスをするにも道ネタを絡めなければ気が済まない性質なので、親鼻橋河原の傍に架かる秩父鉄道の荒川橋梁についてご紹介します。
秩父鉄道の前身である上武鉄道(昭和5年秩父鉄道に改称)は明治34(1901)年に熊谷~寄居間が開業したのを皮切りに延伸を重ねて10年後の明治44年に秩父駅まで到達しました。この時に開業した秩父駅は秩父市の中心地に位置する現在の秩父駅とは異なり、約10km手前に位置する秩父郡国神村(昭和30年に皆野町と合併)の荒川河畔に設置されています。
それから3年後の大正3(1914)年、秩父鉄道が荒川を越えて現在地の秩父駅まで開業した事により、国神村・秩父駅は国神駅と改称(大正5年に荒川駅に再度改称)して、荒川を渡らない旧線(長瀞~旧秩父)は貨物専用線となりましたが、大正15年には貨物線としても廃止されてしまいました。


荒川橋梁03
【A地点】長瀞駅舎
(近代土木遺産Cランク)

川遊びに連れて行くと言いながら昼過ぎまで散々寄り道をしてきたのでキレ気味の長女を宥めながら、まずは長瀞~旧秩父間の短い旧線を辿って行きます。
新旧分岐点の少し手前にある長瀞駅は明治44年に波久礼~旧秩父間が開業した際に開設され、当初は最寄りの観光地である宝登山に因んで宝登山駅と命名されていました(大正12年、長瀞駅に改称)。駅舎は近年になって修繕工事が行われましたが、開業以来の木造駅舎であり近代土木遺産Cランクに指定されています。


荒川橋梁04
【B地点】 新旧分岐点

長瀞駅から南へ400mの熊谷起点32キロポストが設置されている地点から旧秩父への旧線が分岐していました。旧線跡は町道に転用され上長瀞駅前を経て国道140号付近まで続いていますが、大半の区間が離合不能の上に道中にはキャンプ場やら博物館がある事から交通量も多く、自動車では通り抜け辛い道路でした。


荒川橋梁05
【C地点】 県立自然の博物館前の旧線跡



荒川橋梁06
【D地点】 新線の荒川橋梁を潜る旧線跡

旧線は荒川の流れに沿って西に進路を変え、南下してきた新線の荒川橋梁とアンダークロスして荒川沿いに終点の旧秩父駅を目指しています。


荒川橋梁07
【E地点】 旧秩父駅跡

国道140号線の金崎交差点付近からは旧線利用の道路も無くなり旧線の道筋は判然としなくなります。旧版地形図によると、金崎神社前辺りの住宅地と農地が混在する一帯が旧秩父駅の構内だったようです。






荒川橋梁15
荒川橋梁を通過するC58形蒸気機関車

旧線の探索を一通り終えて親鼻橋河原で遅めの昼食を取っていると、新線に当たる荒川橋梁をふいに蒸気機関車が通過して行きました。これは「パレオエクスプレス」というC58を利用した臨時列車で、観光シーズンを中心に熊谷~三峰口間で運行されていますが、今年の8月6日に秩父鉄道広瀬川原熊谷工場内にて脱線事故を起こした為、この記事を公開時点では運休中となっています。


荒川橋梁14
荒川橋梁
【近代土木遺産Aランク】

続いて武甲山から産出される石灰石を輸送している貨物列車が橋梁を渡って行きます。
荒川橋梁は延長167mのプレートガーダー橋です。高さ20mにも及ぶ橋脚は下部3段が煉瓦積み、最上段である4段目のみコンクリート製になっていますが、これは後年の補修によるもので元々は4段目も煉瓦製でした。


荒川橋梁09
荒川橋梁(戦前絵葉書)

この絵葉書では橋脚の細部(煉瓦の積み方など)までは分かりませんが、4段目が現在と比べるとやや細く、形状も台形型だった事が確認できます。


荒川橋梁10
荒川橋梁を渡る普通列車



荒川橋梁18

橋脚に間近に接近してみると最も秩父寄りの一本だけが総コンクリート製だった事が判明しました。これが元々の橋脚をコンクリートで全面的にコーティング補修したものか、根本的に造り替えたのかは不明です。


荒川橋梁12
【G地点】から荒川橋梁を渡る普通列車を撮影



荒川橋梁11
【G地点】 荒川橋梁から秩父方面を見る



荒川橋梁13
旧秩父駅舎
【近代土木遺産Cランク】

荒川橋梁と共に開業した秩父駅舎は昭和58(1983)年に地場産業振興センターを併設した駅ビルに建て替えられました。初代の木造駅舎は市内東平の丘陵地に移築され秩父民族博物館として活用されています。

地図


秩父鉄道の前身上武鉄道は、明治三十四年熊谷を基点に創業、大正三年大宮町(現秩父市)まで延長秩父駅(停車場)が開設され、以来秩父地域交通の要となり昭和五十八年同所に、秩父地域地場産業振興センター建設に伴い同五十九年現在地へ移築復原されたものである。
この駅舎は、当地出身の坂本朋太郎博士の設計といわれ、吹きぬけ部を構造の中心に四辺の下り棟勾配をアクセントに、大屋根の量感とが簡潔な調和を見せ、ハイカラな外観を形成、山間秩父における象徴的洋風建築といえよう。
秩父の玄関口として七十年、行きかう乗降客の風情に世相の変遷を眺めてきたにちがいない。

昭和五十九年七月 秩父市







荒川橋梁20
旧親鼻橋の親柱

最後に荒川橋梁の上流500mの位置に架かる国道140号線の親鼻橋にも目を向けておきます。
親鼻橋が最初に架設されたのは明治35(1902)年と言われており、当時の橋の物と思われる親柱が一基だけ南詰の河原への下り口保存されていました。その後の親鼻橋は昭和初期の架け替えを経て、昭和32(1957)年に現在の橋が完成しました。
土木学会のサイトには初代・親鼻橋の絵葉書が公開されています。


荒川橋梁19
親鼻橋河原から親鼻橋を見る



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