和田峠18
和田峠トンネル 下諏訪側坑口

昭和7年竣工にしては明らかにきれい過ぎる下諏訪側の坑門。銘板によると平成7年に坑門部分の改修が行われたようですが、古い写真と見比べてみると現在の坑門は基本的に旧坑門と同じデザイン(笠石、ピラスターなど)で造られているのが分かります。私は平成7年以前に何度かこの隧道を通った事があるのですが、残念ながら坑門については全く記憶に残っていません。


和田峠38
戦前の和田峠トンネル(和田嶺隧道)
扁額が無い以外は現在の坑門と同じ構造である。



和田峠37
「和田峠トンネル」の扁額



和田峠20
向かって左側のピラスターの銘板
「Por la Vojo de la Homaro.」

下諏訪側の坑門には新設と見られる扁額の他に、両ピラスターの上部に「Por la Vojo de la Homaro.」「Kun Penoj de la Homaramo.」と書かれた謎の銘板が取り付けられています。この銘板は2008年に訪れた時は謎だったのですが、2011年に再訪してみると坑門に長野県上田建設事務所による説明看板が取り付けれらていました。(以下に転載)

青山士(あおやまあきら)発案のエスペラント語の碑文

Por la Vojo de la Homaro.=人類の願望の為め
Kun Penoj de la Homaramo.=人類愛の努力をもって

和田嶺トンネル工事(内務省新潟出張所発注)は当時日本一高い場所(1534m)のトンネルとして、昭和8年(1933年)1月に完成した。完成に際し、新潟土木出張所所長であった青山士氏の発案による、エスペラント語による碑文が残された。



和田峠19
和田峠トンネルを通過するトラック

さて、坑門が改修されたとは言え断面積には変わりが無いので、ご覧の通り隧道内で大型車が離合できないのは明らかです。隧道の諸元は幅員5.0m(もしくは5.1m)との事ですが、それ以上に狭く見えるような気も?。


和田峠41
改修された坑門部分を過ぎれば内部は経年相応に痛んでいる。



和田峠22
和田峠トンネルと和田峠

坑口の向かって右側の鞍部が隧道開通以前の和田峠(明治新道)の切通し跡です。こうして見ると隧道の土被りは殆どなく、切り通しの真下を通る隧道では距離の短絡にもならないのに、わざわざ隧道にする意味があったんかな?なんて思ってましたけど…。


和田峠21
戦前の和田峠トンネルと和田峠(上の写真とほぼ同位置から)

その疑問には最近入手した一枚の古絵葉書が答えてくれました。下諏訪側の坑口を写した絵葉書のタイトルは「(和田嶺)頂上雪除トンネル」。当時、日本最高所に掘削された和田峠トンネルの眼目は「雪除け」にあったのです。


和田峠23

次に「和田峠の頂上」と題されたもう一枚の戦前絵葉書。写っている車両は昭和8年に開業した省営バスでしょうか。坑口に接続していると見られる写真のスノーシェッドは周囲の風景から見て長和側であると考えられます。このスノーシェッドの事が気になったのでネット上で気軽に閲覧できる隧道の3大データベースである「本邦道路隧道輯覧(昭和16年)」、「全国隧道リスト(昭和42年)」、「全国道路トンネルリスト(平成16年)」を見比べてみると和田峠トンネルは

延長280m、幅員5.0m、昭和7年竣工(本邦道路隧道輯覧)
延長468m、幅員5.0m、昭和13年竣工(全国隧道リスト)
延長282m、幅員5.1m、昭和13年竣工(全国道路トンネルリスト)

となっており、昭和42年版の全国隧道リストに記載された延長だけが突出して長い事が目に付きます。また、竣工年に関しても昭和7年と13年に分かれましたが、これは先の長野県上田建設事務所設置の看板でも昭和8年完成と明記されており、昭和8年から和田峠をバスが越えるようになった事実を踏まえると昭和7年ないし8年には隧道が完成し、昭和13年に改修(おそらくスノーシェッドによる延伸)が行われ、昭和42年にはシェッドを含めた総延長が468mになっていた。その後、何らかの事情でシェッドは撤去され平成16年のトンネルリストにはほぼ元の長さになった282mが記載されたのだと思われます。


和田峠地図03
昭和50年撮影の空中写真

昭和50年に撮影された空中写真を見ると隧道北口から伸びているスノーシェッドらしき物がビーナスラインの峠橋を越え、坑口から実に300mもの長さに達している事が確認できます。このシェッドと隧道を合わせた延長は580mとなり、隧道リストの468mを明らかに上回っているので昭和42年から8年の間に更に100m以上の延伸がなされたのでしょう。そして、シェッドが撤去された理由については新和田トンネル有料道路の開通によって旧道の冬季交通を確保する必要性が薄れ、ビーナスラインへのアクセス道路となる和田峠トンネルの長さを約半分(580m→280m)にする事で信号待ちの時間軽減を図ったのではないかと想像しています。


和田峠42
【H地点】

峠橋の手前、隧道北口から300mほど手前に建つ高さ3.6mの制限標識。この手の制限標識が対象物件の手前に設置されている事は別に珍しくもないので現地では気にも留めませんでしたが、位置的にこの標識のすぐ後ろ(側溝の構造が変わる地点)が昭和50年当時のシェッドの入口だったようです。


和田峠24
峠橋から和田峠トンネル長和側坑口を撮影

峠橋からはトンネル上部に残る明治道の峠の断面を鮮明に見る事ができました。こちら側の峠への取り付け道は現道の掘割に削り取られ完全に消失してしまっています。


和田峠25
【J地点】 ビーナスラインから撮影した峠の切通し
トンネルのほぼ真上に約300mに渡って明治時代の切通しが残っている



和田峠26
建設中の和田峠トンネル(下諏訪口)と明治道の和田峠



和田峠27
大正4年発行「和田」(1:50000地形図)

大正時代の地形図を見てみると和田峠前後の道筋は、峠に隧道が無いだけで現在の旧国道と殆ど変わりがありません。ここに記載された和田峠の標高は1531m、隧道化によって最高所は14m下げられ1517m(和田峠トンネル北口)になりました。


和田峠28
和田峠トンネルから下諏訪側を見る

それでは下諏訪側に向かって下って行きましょう。こちら側の旧道は短く新道との合流地点まで残すところあと2.8㎞です。


和田峠29
【K地点】 下諏訪側の和田峠(旧中山道)登山口



和田峠30
【L地点】 ヘアピンカーブ(奥が長和側)



和田峠31
【M地点】 国道標識(奥が長和側)
この国道標識は2011年に来た時には無くなっていたような気が?



和田峠32
【N地点】 新道との合流地点

下諏訪側の旧道には特に見所も無いままに新道と合流します。ここには旧道側にも一対の国道標識が建っていました。


和田峠33
【N地点】 下諏訪側からはヘアピン状に上って行く旧道



和田峠34
【N地点】 旧道分岐の青看

長和側の旧道分岐点の青看には旧道の行先が書かれていませんでしたが、こちら側にはビーナスラインの2大観光地がしっかり記載されていました。ビーナスラインまでの距離が短い下諏訪側の旧道の方が推奨ルートという事なんでしょうか?


和田峠35
【N地点】 新和田トンネル有料道路入口

新和田トンネル有料道路は本来は平成15年に償還期限を迎え無料開放される予定でしたが、平成16年に開通した下諏訪町内のバイパス(湖北トンネル等)が新和田トンネル有料道路の延伸という扱いにされた為、償還期限が21年も伸びて無料化は平成36年まで延期される事になってしまいました。


和田峠地図02



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コメント
この記事へのコメント
旧和田峠を頻繁に利用している者です、解りやすい解説ありがとうございます。
大変勉強になりました。
2016/05/28(土) 16:44 | URL | 名無し #-[ 編集]
こんばんは。コメントありがとうございます。
今後ともよろしくです。
2016/05/29(日) 22:42 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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