はやて
東京駅 はやて153号

先日、JR東日本パスを利用して青森まで日帰りで行ってきました。1万円で1日乗り放題とあって東日本パスの期間内は「はやて」、「はやぶさ」の指定席はどれもほぼ満席という盛況ぶりでした。
※通常、東京→青森は自由席でも16,000円かかります。


善知鳥崎地図

新青森駅でレンタカーを借りて、まずは東北本線の浅虫トンネル旧線に向かいます。
今回の探索区間を含む東北本線の盛岡~青森間が開業したのは明治24(1891)年9月1日の事です。昭和30年代後半から始まった同区間の複線化工事に際して浅虫海岸には新たに浅虫トンネル(昭和42(1967)年開通、L=1,510m)が掘削された為、久栗坂トンネル(善知鳥トンネル)前後の約2.2kmの区間が廃止となりました。
この新線切り替えによって生じた旧線の大部分は昭和50年代に国道の拡幅用地に転用された為、鉄道時代の遺構はほとんど残っていません。


善知鳥前隧道01
【A地点】 久栗坂交差点から県道259号線の青森方面を見る

青森側の新旧分岐点から浅虫側へ約300m進んだ地点で旧線は旧国道4号線(現在の県道259号線)を跨いでいました。この旧線と旧国道の立体交差点には青森側のみ旧線の橋台が現存しています(写真中央)。浅虫側の橋台は旧国道の付け替えに伴い撤去されたようです。橋台は煉瓦ではなくコンクリート製なので開業時(明治24年)からの物ではなく、経緯は不明ですが昭和初期頃に造られた物だと考えられます。


善知鳥前隧道02
【A地点】から久栗坂交差点(浅虫方面)を見る

久栗坂交差点では国道4号線・青森東バイパスと旧国道が合流します。ここからは国道4号と東北本線が海岸線を並走していた区間になりますが、旧線の跡地は完全に国道に飲み込まれているので鉄道の面影は全く感じられません。


善知鳥前隧道04
【B地点】 旧国道4号線

地形図等には載っていませんが久栗坂交差点から北側にも昭和55年まで利用されていた旧国道が集落内の生活道路として残っていました。この旧国道は300mほど進んだ善知鳥前隧道の手前でフェンスにて塞がれてしまいますが、旧道の路盤自体は薮地となって浅虫まで続いています。


善知鳥前隧道03
【B地点】 旧国道から久栗坂交差点(青森方面)を見る



善知鳥前隧道05
【C地点】 善知鳥トンネル青森側坑口

善知鳥崎の突端付近を貫く善知鳥トンネル(L=112.0m)は、昭和42年に廃止となった東北本線の久栗坂トンネルを昭和55年に拡幅改修した物です。改修時に両坑門が多少延伸されているので、鉄道時代のトンネルの長さは100m弱程度であったと思われます。


善知鳥前隧道06
【C地点】 鉄道時代の久栗坂(善知鳥)トンネル

明治から大正時代頃に撮影された写真を見ると当時は善知鳥崎の青森側は入り江状になっており、鉄道はここを築堤で渡って久栗坂トンネルに接続していた事がわかります。旧国道は入り江に沿って山側に大きく屈曲した後、東北本線を久栗坂トンネル手前の踏切で渡り善知鳥崎へと至っていました。


善知鳥前隧道07
【C地点】 昭和10年頃の久栗坂(善知鳥)トンネル

一つ前の写真から少し時代が進んだ昭和10年代の久栗坂トンネルの様子。東北本線には特に変化は見られませんが、国道4号線は入り江を埋め立てて直線化され久栗坂トンネルの隣には善知鳥前隧道が開通しています。昭和8年に開通した善知鳥崎隧道と、その前後の取付道路は以後47年間に渡って青森市への幹線であり続けました。


善知鳥前隧道07-2
久栗坂トンネルと善知鳥前隧道

この写真には東京駅起点726キロポストが写っていますが、現在ではこの位置は約723.5km(浅虫温泉駅が722.0km)地点になるので東京~浅虫間の距離は僅かながら短縮されているみたいです。ちなみに国道4号線だと日本橋の道路元標からここまで約725kmあります。


善知鳥前隧道08
善知鳥トンネルと善知鳥崎の旧道

善知鳥トンネルの坑口傍には善知鳥崎に関する案内板が設置されていたので道的に重要な部分を以下に抜粋しておきます。

善知鳥前は「往来嶮岨の地」であった。「怪岩波に洗はるる山下の小径に梯を掛け、恐怖旋律しつつ辛うじて通過した」と記録に残されている。越後の親不知、子不知とともに二大険路といわれた。
文化年間(1804~1817)、わずかに岩中を開削された。
明治9年(1876)、明治天皇の東北巡幸の機会によってトンネルが開通した。


僅か100m強のトンネルで難なく通過できる現状からはとても親不知、子不知と並ぶ険路とは思われませんが、それはあくまで文化年間から続けられてきた道路改修の成果なのかもしれないですね。また、明治9年にトンネルが開通したとの記述は他の資料からは一切裏付けが取れず、地形的にも隧道が存在し得た場所が無い事から、これは誤伝の類ではないかと思っています。あるいは海岸沿いの旧道にごく短い隧道が開通し、早い時期に撤去されたという事も考えられなくもないですが可能性としては低いと思います。


善知鳥崎地図01
大正4年発行「浅虫」(1:50000地形図)

大正元年測図、大正4年発行の地形図にも明治の隧道は記載されていませんでした。ちなみにこの地形図では久栗坂から浅虫にかけての国道は海岸沿いを小刻みに屈曲していますが、善知鳥前隧道の建設を含む昭和初期の改修によって東北本線とほぼ同じ線形にまで改良されます(下の地図に赤線で示しときます)。


善知鳥崎地図02
現在の「浅虫」。青線が旧線、赤線は旧国道。



善知鳥前隧道09
海岸沿いの旧国道(旧々道)

善知鳥トンネル坑口から見た昭和8年まで使われていた善知鳥崎へと続く旧国道(旧々道)の様子。現在では一車線分の幅しかなく遊歩道として利用されているようですが、磯の中には石積みの路肩の残骸が残っており元々の道幅は広かった事を教えてくれています。


善知鳥前隧道10
路肩の残骸



善知鳥前隧道11
旧々道から元鉄路の現国道を振り返る



善知鳥前隧道12
善知鳥崎

善知鳥崎の先端はちょっとした広場になっていて先の案内板にもあった「明治天皇御休所御跡」の碑が建立されていました。明治天皇の東北巡幸に際してトンネルが開通したという話なのに旧道の最先端たるこの場所に「御休所跡」の碑が建っていることに何となく違和感を感じ、この事も本当に明治9年にトンネルが掘られたのか疑う原因の一つです。


善知鳥前隧道13
「明治天皇御休所御跡」の碑



善知鳥前隧道14

延長約100mの善知鳥トンネルの旧々道の全長はは200mほど。善知鳥崎から北側の旧々道は路肩が一部崩れている箇所があるものの、二車線近い本来の道幅を保っていました。


善知鳥前隧道15
【D地点】 善知鳥トンネル浅虫側坑口

浅虫側の旧々道の入口には「大河兼任の乱」(1189年)の古戦場碑が建っています。案内板によると、この地が大河兼任(奥州藤原氏の遺臣)の鎌倉幕府軍に対する最後の防衛拠点になったとの事。


善知鳥前隧道16
【D地点】 鉄道時代の久栗坂(善知鳥)トンネルと旧々道



善知鳥前隧道17
善知鳥トンネルと善知鳥前隧道

薮に隠されていて見えにくいですが、こちら側も新旧のトンネルが並んで口を開けています。写真の左端に写っているのが旧隧道の坑門上部に設置されている落石防護柵です。


善知鳥前隧道18

先ほどの写真とは別角度から撮られた明治~大正期の善知鳥トンネル浅虫側坑口。この写真では昭和8年に善知鳥前隧道が開通する事になる位置(踏切手前の右カーブ)には隧道は影も形もないので、少なくとも「明治9年開通のトンネル」が善知鳥前隧道に改修されたという可能性はないでしょう。

後編では旧国道の善知鳥前隧道と失われた跨線橋を紹介します。


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コメント
この記事へのコメント
はじめまして、モーリーと申します。

旧線が海側に迂回しているのは把握していましたが
道路が一旦線路を越えて崎側にでてから
また線路を越えるというのは初めて知りました。
踏切があったとは…。

崎には旧道の石垣も残っているのですね。
廃線好きな友人が居るので今度誘ってみます。

旧東北本線の歴史、教えていただきありがとうございました^^
2011/07/21(木) 20:47 | URL | モーリー #eTWL/846[ 編集]
こんばんは、はじめまして。

この区間は車道化によって遺構はあまり残ってないですが歴代の廃線と廃道が入り混じっていてなかなか面白いですよ。
薮の収まる時期に金山橋辺りを探索してみると新たな発見があるかもしれません。
2011/07/21(木) 22:56 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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