小田深山森林軌道地図
昭和8年修正「久万」(1/5万地形図)

愛媛県道52号線(小田柳谷線)は旧小田町から小田深山を経由して旧柳谷村に至る主要地方道ですが、この道の起源は愛媛県内では数少ない森林鉄道である「小田深山林用軌道」に由来しています。
小田深山林用軌道は千古斧の入らぬ大森林と言われた小田深山国有林の豊富な森林資源搬出の為に、大正10年5月調査測量が実施され、大正11年6月に着工、大正12年12月に宮原~淵首間17kmが全通しました。淵首からは杉、ブナ、楮などが素材のまま、あるいは加工された製品(木箱材、ブナ板)となって搬出され、宮原からは上げ荷(生活物資)がトロッコに満載して輸送されるようになりました。
しかし、戦後になって増え続ける輸送量に対しトロッコによる積み出しだけでは不十分となり、昭和27年に輸送は「旧砲車道」からトラックで行われる事が決定し林用軌道は開設以来30年の歴史に幕を閉じました。軌道跡は翌昭和28年から幅4mのトラック道とするべく拡幅工事が始まり、昭和29年「小田深山林道」として全通しています。
その後、この林道は昭和48年に県道(304号・本川西谷線)に編入、平成5年には県道52号線(小田柳谷線)に昇格し現在でも小田深山渓谷へのメインルートになっています。
さて、町誌を始めとする諸文献では軌道跡は県道になったと簡単に書かれていて、新旧の地形図を見比べて見ると獅子越峠以東についてはその通りのようなのですが、峠以北については一部が似て非なるルートを通っていた事がわかります(C地点、E地点など)。特に獅子越峠直下では現県道が二つのヘアピンカーブで2.5kmかけて200m下っている(80‰)のに対して、軌道は同区間を大胆にもほぼ一直線300mで駆け下りている(666‰)のが確認できます。車道転用から免れた、インクラインでも用いねばクリア出来そうもない驚異的な急勾配区間300mが小田深山林用軌道跡最大の見所と言えそうです。


小田深山林用軌道1
【A地点】 宮原土場跡

小田深山林用軌道の終点だった宮原土場の跡地。軌道はここから正面の獅子越峠まで11kmかけて登っていました。標高差は実に770mにも及んでいます。
土場跡は現在は特に利用されている風でもなく建築資材などが雑然と置かれています。往時は小田深山から運ばれて来た木材はこの土場で荷馬車に積み替えられ、内子・長浜方面に運び出されていました。昭和初期までは突合から長浜まで川流しでの輸送も行われていたそうです。


小田深山林用軌道2
【B地点】 第1ヘアピン

ちょうどこの辺りで齢80歳ぐらいのお婆さんが散歩をしていたので聞き取り調査をしてみると、とても懐かしそうに

・軌道は確かにここ(B地点)を通っていて、この先も大体が道路になった。
・動力には廃線まで馬が使われていてトロッコを4~5両連結していた。
・ブレーキは木製の手作りの物を使用していた。峠から宮原まで一度下ると焼け焦げて使い物に ならなくなっていたので毎回新品を使っていた。
・廃線後は組合で小さなトラックを数台購入して木材、物資を運ぶようになった。
・ここ(B地点)からも木材を積み込んだ事があった。
・軌道の穴(縦穴か横穴か不明)があって子供の頃にそこに隠れて遊んでいた。


などの貴重な話を教えてくれました。「大体が道路になった」って事は道路になってない部分もあると解釈しても良さそうです。結果的にこのお婆さんに話を聞けた事が今回の探索での一番の収穫でした。


小田深山林用軌道3
【C地点】 357.4mの三角点標石

新旧地図の比較すると車道から軌道跡が外れる(分岐)と想定される位置が第1ヘアピンと第2ヘアピン(357.4mの三角点)の間付近になります。
という訳で三角点から西側斜面の薮に突入し、打木川の谷底までの高低差100mを往復してみたのですが、どういう訳か軌道跡らしき平場は全く見付かりませんでした。結局、1時間ほどかけて周辺をウロウロしても軌道跡と断定出来る道は発見出来ず、午後には家に帰らないといけない用事もあったのでこの場所での軌道探しは断念しました。
廃道・廃線歩きには対象物件によって観光モード、ハイキングモードなどの気分で訪れる事も多いのですが、どうやらここは本気(マジ)モードで挑まねばならぬ廃線跡のようです。


小田深山林用軌道4
【D地点】 内子町本川

C地点での調査がうまくいかなかった事もあり、今ひとつ自信に欠けますがこの辺は県道と軌道跡が一致している物と思われます。


小田深山林用軌道5
【E地点】 才太郎橋

打木川の最上流部でも軌道は現県道とは異なるルートを通っていたようです。具体的には県道よりも内側、つまり一段低い位置で打木川と西側の谷を渡っていたと想定され、軌道橋などの遺構群が期待されていたのですが、現県道から見える範囲には橋どころか路盤さえも全く確認出来ませんでした。


小田深山林用軌道6
【F地点】

そして、この辺りが例の最急勾配区間の入口のはず…なのですが、残念ながらここでもそれと分かる道筋を見付ける事が出来ませんでした。道路からの入口(分岐)を見付けられなかっただけなので、山肌を徹底的に探せば何らかの遺構が残っている可能性はあると思いますが。


小田深山林用軌道7
獅子越峠(奥が淵首側)

宮原土場跡から10.2kmを(寄り道しなければ)20分かけて獅子越峠に到着。
昭和37年の車道開通時には4.0m幅だった道も改修が進み、ここまでの県道は全線1.5~2車線の走りやすい道です。峠の広場には軌道開設に尽力した武知勇記氏と泉賢盈氏の頌徳碑が建っています。


小田深山林用軌道8
峠から宮原方面を見る

峠から宮原への県道は大きく左カーブを描いていますが、軌道は直進して斜面を下っていたはずです。


小田深山林用軌道9
獅子越峠から宮原土場を見る

写真中央の平地が宮原土場のある中川地区です。この光景はトロッコの運転手も見ていた物に違いありません。今回の調査では見付ける事はできませんでしたが、巨木を積んだトロッコはここから宮原まで11kmの道のりをブレーキを焦がしながら下っていたのです。


小田深山林用軌道10
オダスキーゲレンデ

峠の東側はスキー場になってます。私はスキーはしないですが子供の頃、今頃の季節に橇遊びをした記憶があります。


小田深山林用軌道11
【G地点】 軌道跡(内子町中川)

獅子越峠から東は軌道跡と県道は完全に一致し、黒川に沿って28‰の勾配で淵首まで下って行きます。


小田深山林用軌道12
【H地点】 小田深山小中学校跡

小田深山にはかつては林業に従事する人の集落があり、軌道沿いに学校もありましたが林業の衰退と共に人は去り現在では定住している人は殆どいないようです。学校跡は環境教育スクール「森の学校」として使われています。


小田深山林用軌道13
【I地点】 内子町淵首

淵首の入口で唐突にガソリンスタンドが現れますが、当然のように営業はしてません。


小田深山林用軌道14
【I地点】 淵首の集落跡(手前が県道340号線)

軌道の終点である淵首には木材加工工場も置かれ、原木だけでなくここで加工された木材もトロッコによって出荷されていました。旧版地形図によると軌道はここから400m北(写真手前側)の桶小屋まで伸びていたように描かれているので、開通後に多少の延伸があったのかもしれません。
今回は全く発見出来なかった峠以北の軌道跡については冬場にでも本格的に調査をする予定です。


小田深山森林軌道地図2



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コメント
この記事へのコメント
気になる場所ですよね。
もう一ケ所、100mほどのインクラインもあったみたいだし。

おばあさんの穴発言も気になりますな。
2009/04/15(水) 16:25 | URL | マフ巻 #-[ 編集]
ああ、インクラインはやっぱりあったんですね。
かなり簡易な軌道って印象受けたのでそんな設備は無いかもと思ってたりしました。

お婆さんの言ってた穴は隧道では無い事はわかってます、今度会ったらまた聞いときます
2009/04/16(木) 01:17 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
深山に住んでいました。当方30代です。
懐かしく、また知らない歴史を垣間見ました。
約30年前ですが集落には生活があり温かい暮らしでしたよ。
大人になりよく訪れるのですが、住居後は草むらになり寂れ、広い世界は小さくなったように感じます。

2017/07/13(木) 23:20 | URL | S #-[ 編集]
こんにちは。私が初めて小田深山に行ったのも30年前で、当時は道が悪かったですが今よりも集落に活気がありました。
久しぶりに山荘のたらいうどんを食べに行きたいですね
2017/07/18(火) 05:56 | URL | しろ #cim2vaZ6[ 編集]
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