道芝隧道01
余部町道芝トン子ル
(道芝隧道 西側坑口)

明治35(1902)年に竣工した道芝隧道(京都府舞鶴市)の開通記念絵葉書。この隧道は開通から93年が経過した平成7(1995)年に拡幅改修されたため現存していません。旧隧道の正確なスペックは不明ですが、延長は300m超、幅員は5m程度あったのは確実で、当時としては規模の大きな道路隧道でした。舞鶴鎮守府の開設(明治34年)に伴い、一般人の海岸道路の通行が禁止(旧北吸村に至っては全村移転となった)されてしまった為、山側の代替えルートとして建設されたものです。 その為、戦後になって海岸道路が一般解放されるまでは国道(現在の27号線)の一部であったと思われます。

地図


道芝隧道02
道芝トンネル 西側坑口

改修後の現トンネルは煉瓦調の坑門に笠石・帯石が旧隧道と同じ位置に配されています。長年親しまれてきた旧隧道のデザインを意識した設計なのでしょう。ちなみに上の絵葉書と同位置から撮影した写真はこれ

【道芝トンネル】
平成7年竣工、延長340.5m、幅員10m


道芝隧道03
道芝トンネル 東側坑口

東側(北吸側)の改修前の坑門については「舞鶴の近代化遺産」のサイトで見る事ができますよ。


道芝隧道04
道芝隧道の覆工煉瓦

道芝トンネル東口の交差点はちょっとした広場になっていて、ここには旧隧道の巻立煉瓦の一部と両坑口の扁額が展示されていました。

旧トンネル覆工煉瓦

旧道芝トンネルは、明治35年に建設されたもので、90年以上舞鶴の幹線道路として利用されてきました。
この煉瓦は、トンネルのアーチ部のもので、手作業で丹念に施工されており、現在でもかなりの強度を持っています。



道芝隧道05
西側旧扁額

旧トンネル西側銘板

朱熹(南宋の儒家)の大学章句(儒教の教書)から引用したもので「疑いや迷いがさらりと解けて物事がはっきりする」という意味であり、この場合、トンネルの貫通により、道がまっすぐ開けたという意味である。



道芝隧道06
東側旧扁額

旧トンネル西側銘板

出典は、不明であるが、「道がおおいにひらかれた」という意味であり、トンネル貫通による、のびのびした気分のあらわれである。



道芝隧道07
大正14年発行「舞鶴」(1/5万地形図)

道芝隧道で検索すると、いくつかのサイトに「明治35年11月に舞鶴鎮守府道路として道芝・榎・葛の3つの隧道が竣工した」という記事を見掛けたので、大正14年の地形図を取り寄せてみたところ同地形図では榎隧道(現在の五老トンネル)の存在は認められるものの葛隧道については記載がありませんでした。おそらく現存はしてないでしょうが、跡地ぐらいは特定したいと思っています。


道芝隧道08
五老トンネル(旧榎隧道) 東側坑口

向かって左側のトンネルが明治35(1902)年に道芝隧道と同時に竣工したという榎隧道の現状。昭和29(1954)年に東行き専用の新トンネルが開通してからは旧隧道は西行き専用となり、昭和54(1979)年に拡幅改修されて現在の姿になっています。昭和42年の全国隧道リストには覆工の欄には「レンガ」と記載されていました。

改修前:明治35年竣工、延長166.8m、幅員4.0m、高さ3.3m
改修後:昭和54年竣工、延長180.0m、幅員9.5m、高さ4.5m


道芝隧道09
五老トンネル(旧榎隧道) 西側坑口

道芝隧道のように榎隧道の扁額等の遺構が残されていないか、徒歩にて五老トンネルの周辺を念入りに探してみましたが見付ける事はできませんでした。


道芝隧道10
五老トンネル(新榎隧道) 西側坑口

【五老トンネル(新榎隧道)】
昭和29年竣工、延長196m、幅員7.5m




道芝隧道11
北吸トンネル 東舞鶴側坑口

上記地形図の範囲内には明治37(1904)年に開業して昭和47(1972)年に廃線になった国鉄・中舞鶴線(東舞鶴~中舞鶴、L=3.4km)の北吸トンネルが遊歩道として現存しています。


道芝隧道12
北吸トンネル 中舞鶴側坑口

【北吸トンネル】
明治37年開業、延長110m
近代土木遺産Cランク


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