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平野橋01
旧・平野橋
(観光絵葉書より)

金砂湖(愛媛県四国中央市)の湖上に架かっている平野橋は、柳瀬ダムによる水没補償として架設された昭和28(1953)年の時点では付替新道(金砂湖南岸の県道6号と国道319号)と平野山の移転集落を結ぶ生活道路程度の役割しかなかったため、幅員3.6m、重量制限6tの吊橋という車両の通行には不適な規格で設計されていました。その後、昭和35(1960)年に伊予三島市森林組合の主導でに法皇隧道が開通すると、平野橋も伊予三島市街と嶺南地区を結ぶ幹線道路に組み込まれましたが、嶺南から木材を搬出するトラックの通行が多かったため、とりわけ6tの重量制限が輸送上のネックになったのでした。こうして本来の用途とは違う目的で利用されることになった平野橋は早々に架け替えが必要となり、昭和46(1971)年に現・平野橋が開通したことによって旧・平野橋は両岸の橋台だけを残して撤去されています。

【旧・平野橋】
昭和28(1953)年竣工
延長約160m、幅員3.6m、制限重量6t
吊橋
昭和46(1971)年架替


平野橋02
現・平野橋と旧・平野橋跡
(平成21年5月2日撮影)

【現・平野橋】
昭和46(1971)年竣工
延長約168.8m、幅員6.0m
鋼ランガーアーチ+鋼プレートガーター


平野橋03
平野橋周辺地図

旧・平野橋の開通から僅か5年後の昭和33(1958)年には法皇隧道は着工しているので、同隧道の開通を見越して設計しておけば良さそうなものだけど、当時は現在のようにダムマネーを無尽蔵に使える時代ではなかったのでしょう。なお、旧・平野橋には平野山地区の生活道路のほかに、長野隧道を経て翠波橋に至る北岸道路(長野隧道~翠波橋間は車両通行不可)の一部でもありました。


平野橋04
法皇隧道 三島側坑口
(平成16年6月17日撮影)

法皇隧道は延長1,663mもの長大隧道にもかかわらず、洞内9ヶ所の待避所以外では離合が困難な上、開通から60年以上が経過して老朽化が進んでいるため、数年前に「新法皇トンネル建設促進期成同盟」なる陳情団体が結成されていました。現時点では具体的な進捗はないようですが、新トンネルを掘削するとなると山田大橋から北平野バス停付近まで約3.5kmほどの長さが見込まれます。


平野橋05
平野橋南詰交差点の白看
(平成14年8月5日撮影)

平野橋南詰交差点の白看の行き先には40kmも先にある土佐本山(高知県土佐郡本山町)が記載されています。このルートは森林開発公団が昭和41(1966)年に開通させた林道・猿田白髪線(現在は県道126号・上猿田三島線)を通るもので、開通当時には法皇隧道と連絡して予土国境の森林開発に期待されていましたが、林業の衰退が著しい現在では寂れ果てた道路になっています。
佐々連(さざれ)という聞きなれない地名は昭和54(1979)年まで稼働していた佐々連鉱山のこと。県道(現・国道319号)からは3kmほど外れた山中にあったにもかかわらず、県道の行き先である新宮村や柳瀬ダムを抑えて白看の行き先として採用されており、かつての佐々連鉱山の盛況ぶりが感じられるというものです。


平野橋06
白髪隧道 上猿田側坑口
(平成14年8月5日撮影)

【白髪隧道】
昭和41(1966)年竣工
延長820m





平野橋07
翠波橋
(観光絵葉書より)

金砂湖の中間地点付近に架かっている翠波橋には平野橋のような変革はなく架設当時のまま現存しています。旧・平野橋の幅員が3.6mと伝わっているのに対し、翠波橋の幅員は3m程度しかなく6t以下のトラックが通れるようには思えません。同じ条件下で建設された2つの吊橋ですが、集落に近い平野橋の方が少しだけ高規格で設計されていたのではないでしょうか。


平野橋08
翠波橋
(平成16年6月17日撮影)



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