坂本の切通し01
国道411号線(奥多摩町川野)

奥多摩湖ロープウェイ探索を終えて(15時過ぎには長女が学校から帰ってくる為)足早に帰路に就くと、ロープウェイ川野駅跡地からまださほど離れていない奥多摩湖畔にて、喫水線ぎりぎりにの切通し状地形を見付けました。位置的には国道411号線(青梅街道)・坂本トンネルの旧道っぽく見えたので、同じく奥多摩町内の旧青梅街道にある数馬の切通し(1750年頃開通)のような歴史的な物件ではないかと色めき立って接近を試みたのでありました。


坂本の切通し02
坂本の切通し
(西側からズーム撮影)

デジカメでズーム撮影してみると、それは明らかに自然地形ではなく廃道となった切通しでした。
道路趣味者の性分から何とかしてあの切通しに立ちたいと思いましたが、こちら側(西側)からの道筋は切通しを残して消滅しているので接近は困難と判断せざるを得ず、坂本トンネルを潜って東側に回り込む事にしました。


坂本の切通し03
坂本トンネル 東側坑口
(昭和33年竣工、延長260.0m)

坂本トンネルは小河内ダム建設によって水没する県道青梅甲府線(国道411号の前身)の付け替え道路の一部で、ダムの前後には同規模のトンネルが16ヶ所連続しています。


坂本の切通し04
トンネル東口から伸びる徒歩道

幸いトンネル東口からは湖畔に沿って徒歩道が伸びていたので、これを利用することにします。現在は簡単なバリケードが置かれて立入禁止の措置が取られていますが、道の造りを見るに元々は遊歩道だったように感じられました。


坂本の切通し05
湖畔の徒歩道

徒歩道は所々で崩落により路盤が消失している所もあり、管理体制にうるさい昨今の風潮では閉鎖も止む無しと言った感じですが、廃道を歩き慣れているような人には難しい道ではないと思います。


坂本の切通し06
岬の広場

坂本トンネル東口から5分ほど歩くと唐突に公園風のベンチが設置された小広場が現れました。ここからは国道411号の峰谷橋が見えているので岬の反対側(西側)に出たようです。となると切通しは現在地付近にあるはず。
なお、帰り道に遊歩道をそのまま進んでみると坂本トンネルの西口に出る事ができました。


坂本の切通し07
小広場から切通しへ

広場から岬の先端の方に目を向けると目指す切通しを発見。広場と切通しの位置関係を最初の写真に書き込むとこんな感じです。


坂本の切通し08
坂本の切通し(奥が坂本側)

首尾よく切通しへの着地に成功。実際に現地に降り立ってみると、この切通しが間違いなくダム建設によって廃道となった道の跡である事が確認できました。道祖神や地蔵の類など何かしらの遺構が残されていないか切通し内を探してみましたが、残念ながらこれらは何一つ発見できませんでした。


坂本の切通し09
切通しから坂本方面を見る

帰宅後に地図をよくよく確認すると、この切通しを通った道は旧青梅街道ではなく、峰谷川に沿って坂本を経て留浦(とずら)集落に通じる町道の旧道に当たる事が分かりました。付け替え国道は蛇行する多摩川に峰谷川が流れ込む複雑な地形を橋とトンネル(坂本トンネル→峰谷橋→馬頭トンネル)を駆使して巧みに通り抜ける為に、一時的に峰谷川に入り込んでいる訳です。


坂本の切通し10
峰谷橋
(昭和32年竣工、延長125.0m)



坂本の切通し11
水没した坂本集落跡



坂本の切通し12
坂本の切通し(奥が奥多摩町側)

かつて坂本、留浦の住民が外界に出るために必ず通ったであろう切通しの風景。切通しから300mほど下れば旧青梅街道との合流点、そこは旧小河内村の中心部だった河内集落です。こちら側の道筋も切通しだけを残して完全に消失していました。


坂本の切通し13
切通しから水没した河内集落跡を見る



坂本の切通し14
岫沢のオート三輪

奥多摩湖には目ぼしい水没遺構は見当たりませんが、河内集落からサイグチ沢を遡った岫沢(くきざわ)集落跡ではダム湛水によって離村した住民が放置していった(たぶんガセネタと思われる)と伝わるオート三輪が残っています。





坂本の切通し15
奥多摩周遊道路から見下ろした旧河内集落付近



坂本地図
昭和22年発行「五日市」(1:50000地形図)
坂本の切通しには小径が通っている



坂本地図2
現在の地図






坂本の切通し18
小河内ダム(上流側から)



坂本の切通し19
建設前のダム地点(上流側から)

最後に小河内ダムの建設前後の写真を比較。
小河内ダムは堤高149mもあるので当然ながら湖底には深い谷が沈んでいます。小河内村はほぼ全村が水没し、移転を強いられた世帯は945世帯にのぼります。ダム建設の経緯についてはダムサイトの案内板を以下に転載して紹介しときます。

大正の終わり頃から、東京市は首都東京の人口が増え、生活様式の近代化に伴い、水需要が急激に増加すると予測しました。このため、水源として関東一円の大河川について調査検討を行いましたが、最終的には、多摩川の上流部にダムを造ることを決めました。
そこで、多摩川上流部の9箇所の候補地について、河川水量・地盤状況について調査しました。水量的なことももちろんですが、高いダムを造る場合は、地盤状況が良くなければなりません。最終的に現在の地点になりました。
昭和7年(1932)7月東京市会において第二水道拡張事業を議決し、同8月東京市第二水道拡張事業実施認可を申請しました。
しかし、水利権上の係争問題が生じ、この解決に約4年の歳月を費やしました。昭和11年7月、事業の認可を受け、小河内貯水池建設事務所を開所致しました。
昭和13年11月、総合起工式が行われ、仮排水路などが完成しました。しかし、戦争が激しくなり、昭和18年10月、ついに工事中止になりました。工事が再開されたのは、5年後の昭和23年です。






坂本の切通し20
建設前のダム地点(下流側から)

ダムの下流側は中山橋、西久保トンネルの少し先(旧青梅街道との合流地点)から立入禁止になっていて、堤体を正面から見る事はできませんでした。


坂本の切通し21
中山橋
【近代土木遺産Bランク】

堤体への接近に何気なく通った中山橋と西久保トンネルは昭和13年に開通した小河内ダムの工事用道路だった道の一部です。全長約3.4㎞(橋詰~ダム堤体間)の工事用道路には7つのトンネルと3つの橋梁が建設され、中山橋と西久保トンネル以外はダム完成後には国道411号線に転用されました。国道になった2つの橋梁(檜村橋、境橋)は近年架け替えられたので、唯一残った中山橋(L=85.0m)は貴重な物件です。


坂本の切通し23
昭和十三年八月竣工



坂本の切通し22
西久保トンネル 奥多摩側坑口

トンネルは国道になった部分も特に改修は加えられていないので、これと同型のトンネルが他に6つ現存しています。


坂本の切り通し25

この探索はちょうど今から2年前の3月11日、震災の当日なのでした。いやはや危ない所を探索中じゃなくて良かった。
八王子でも震度4あったらしく長女は防災頭巾を被って学校から帰ってきましたよ。


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