松山電気軌道01
大正時代の松山市周辺地図

2年前に概要だけ書いてほったらかしになっていた松山電気軌道(以下松電)の廃線跡を今回から紹介していきます。
簡単におさらいすると、松電は三津浜町の有志が伊予鉄道に対抗するするべく三津~松山~道後間、約9.6kmに敷設した標準軌(1435mm)の軌道線で、明治44(1911)年に開通したものの、並行する伊予鉄との競争に敗れ大正10(1921)年に吸収合併されました。
その後、昭和2(1927)年には高浜線と並行していた古町~江ノ口間が廃止となりますが、僅か16年しか存在しなかったこの区間は地形図に描かれる機会にも恵まれなかった為、近年まで地元でもあまり知られていない廃線跡でした。


松山電気軌道02
伊予鉄道(赤線)と松電(青線)



松電地図03

松電の起点は開業当初は伊予鉄三津駅前の住吉町駅でしたが、半年後の明治45(1912)年2月に東に400m延伸して江ノ口駅が新たな起点になりました。江ノ口は三津浜港(旧御船場)のすぐ傍であり、三津浜町の役場も置かれていた三津の中心部でした。当時は市街地の東端に過ぎなかった伊予鉄三津駅に対して、町の中心まで乗り入れる事によって少しでも優位に立つ為の延伸であったと考えられます。
江ノ口の御船場は長崎の出島を模して造られた人工島で天保14(1843)年に完成しましたが、戦後の港湾整備事業によって内港は大きく地形が改変された為、現在では全く原形を留めていません。また、この時に堀川も埋め立てられ堀川橋も失われました。

現在の地図


松山電気軌道04
戦前の三津浜
写真中央が旧御船場(人口島)。その左端に松電の江ノ口駅があった。



松山電気軌道05
現在の三津浜
掘削・埋め立てにより大きく様変わりしている。



松山電気軌道06
江ノ口駅跡

新旧地図の比較によると、江ノ口駅は現在の県道40号線(松山東部環状線)上にあったはずですが、80年以上前に廃止された路面電車の跡とあって跡形もありません。三津浜の有志が地元の為に敷設した軌道の起点地という由来を考えると案内板の一つでも建てて欲しい所ですが…。

地図


松山電気軌道07
大阪市電の二階付電車

wikiの「松山電気軌道」の頁や文献によると松電は大阪市電から二階付電車を購入して、三津浜海水浴場の開設時期に「電車納涼台」として使用していたそうです。三津浜海水浴場は松電が経営していた海水浴場で、現在のラ・ムー三津店付近の砂浜海岸にありましたが、現在は埋め立てられています。
江ノ口駅と三津浜海水浴場は600mほど離れており、二階付電車を海水浴場付近まで引き込んでいたのか、あくまで江ノ口までの軌道上で納涼台として使用していたのか等、いろいろ調べてみましたが具体的な使用方法は分かりませんでした。


松電19
昭和初期の三津浜港

現在に残る大正時代の名建築、山谷運送部(大正15年建造)、石崎汽船本社(大正13年建造)が写っています。


松山電気軌道08
堀川駅と堀川橋の跡地

軌道線と旧県道松山高濱港線(現在の県道19号・松山港線)が位置に堀川駅が設置されていました。
当時、堀川~江ノ口間は堀川(宮前川)に沿って敷設されていましたが、前述の港湾整備事業によって堀川は埋められ、堀川に架かっていた旧県道の堀川橋も撤去されました。堀川駅跡の交差点に「大正二年九月、ほりかわはし」と刻まれた親柱が一基残っています。
この付近に在住の74歳(2010年1月現在)という男性に堀川橋について聞き取りを行ったところ、堀川橋を子供の頃に渡った事があり中学生の時(昭和25年頃?)に例の港湾整備事業によって堀川は埋められ堀川橋も撤去された事と、掘削された土地(辰巳町側)の大部分が国有地だったという事を教えていただきました。この男性が生まれた頃には松電は既に廃止されていましたが、父から聞いた話として松電と江ノ口駅のことはよくご存じでした。
また、堀川橋を通っていた県道は昭和4(1929)年頃に現在の辰巳町経由の新道に改められたそうです。

地図


松山電気軌道09
ほりかわはし 大正二年九月



松山電気軌道10
堀川橋の親柱二基
橋の跡地から離れた別々の場所にそれぞれ保存されている



松山電気軌道11
三津浜大橋西詰

三津浜大橋は昭和46年3月に新設された新しい橋です。松電は三津浜大橋の手前を右折(当時は道なりに右カーブ)して進路を南に変えていました。


松山電気軌道12
住吉駅跡地

県道40号線から離れた軌道跡は宮前川左岸の狭い生活道路に入りますが、住吉神社の前だけ道幅が広くなっています。ここが松電開業時の起点駅だった住吉駅の跡地です。松電と伊予鉄が競合していた約10年間は、三津浜港に汽船が入港する度に乗客の奪い合いが行われたと言われています。同様の例はそれぞれの駅が近接する各駅で起こりましたが、三津駅と住吉駅に関しては「地元の利」で松電に多少の分があったのではないかと想像します。

地図


松山電気軌道13
住吉駅跡から伊予鉄三津駅を見る
伊予鉄道の三津駅については以前の記事を参照のこと



松山電気軌道15
松原橋を渡る松電の電車

住吉駅を出た松電の軌道は200mほど南下した地点に架かる鉄道専用橋にて宮前川を渡っていました。この橋の名前は「松原橋」と言い、それほど大きな橋ではありませんが河川に架かる橋梁としては松電最大の規模でした。

地図


松山電気軌道14
松原橋跡(上の写真と同位置から撮影)

松原橋の跡地には自転車・歩行者専用の松原自歩道橋(昭和53年3月架設)が架かっています。軌道橋は宮前川に対して鋭角に架かっていましたが、自歩道橋は右岸側橋台を少し北にずらして川に対して直角になるよう改められています。現在の自歩道橋は昭和53年に架けられた物ですが、昭和49年の空中写真にも同じ場所に同程度の幅の橋が架かっているのが確認できます。


松山電気軌道16
松江橋交差点から新立駅跡を撮影

松原橋を渡った軌道跡は三津街道(現国道437号線)の拡幅用地として利用された為、何の痕跡も残っていませんが古地図によると禊橋(写真奥側の橋)の東詰に新立駅が設置されていたようです。また、松電時代の三津街道は須賀橋(写真手前側の橋)を渡り、厳島神社に突き当たって西に向かっていましたが、これは松電廃止後の昭和3年頃に現在の道筋(国道437号→県道19号線)に改められました。


松山電気軌道17
松江橋交差点から三本柳方面を撮影

新立~三本柳間の宮前川沿いの三津街道は戦前までは松と柳の並木道でしたが、現在では宅地化が進み往年の面影は全く残っていません。


松山電気軌道18
三津街道上を走る松電電車(上の写真とほぼ同位置)



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