勝見沢隧道01
城里町勝見沢

全国隧道リストに記載された隧道の内、茨城県の勝見沢隧道(昭和26年竣工、延長98.0m、幅4.0m、高さ4.2m)の現状について確認してきたので以下に報告します。

地図


勝見沢隧道02
勝見沢隧道 笠間側坑口跡
(鎌倉坂ロードパーク)

新旧の地形図を比較すると道の線形はそのままに隧道記号だけが消失している為、開削撤去かと思いましたが切り通し状の新道の傍に坑門が残っていました(制限高3.5m)。笠間側の坑口を含む旧道は「鎌倉坂ロードパーク」として整備されており、ここに移設されてきた開通記念碑と新たに設置された案内板によって勝見沢隧道の建設から廃止に至るまでの詳細な経緯を知る事が出来ました。それによると驚くべき事に初代の勝見沢隧道が完成したのは明治2(1869)年にまで遡るとの事です。

隧道開鑿之碑
茨城縣知事正五位勲四等坂仲輔題額
東茨城郡西郷村勝見澤地内有険坂稱曰鎌倉阪古来行旅■
之明治二年三月水戸藩遣野牛道徳董工以藩費開鑿■櫻■
以為記念焉四十年四月小松村興野豹之介西郷村加倉井谷
蔵與村長鯉淵亀太郎助役杉山常之介等相謀更欲起隧道工
事請諸縣庁縣庁遣技手後藤壬介為之設計支出縣費金一千
五百餘圓以補其工費方工事未成前村吏期満退職後村長鯉
也■爲坥途其功豈不偉■乃■記其由併勒篤志者姓名於碑
?以傳不朽■
明治四十三年一月一日

(裏面)
勝見沢隧道の開通以来四十餘年を■■其の間大正十四
年両入口の改修を見たが中央大部分は素掘りの■■■
■■にして亀裂を生じ屡々落盤あり危険且つ狭隘■■
■會石■等■接町村と相謀■■■改良を縣に陳情せる
こと■次に及んだ幸い地元住民の熱■は当局の容■■
■となり昭和二十五年度■災害防止工事として東京■
■工業株式會社請負の下に同年九月着工半歳の努力に
より高さ四米八三幅四米五○延長九六米コンクリート
■■■工費四百七十餘萬圓の永久的大工事■二十六年
三月見事完成した改修に際し偶々路傍より発掘の碑を
起し■■大事業の経緯を碑陰に刻して記念とする
昭和二十六年三月



勝見沢隧道03
勝見沢隧道から笠間方面を見る

勝見沢隧道の歴史

明治二年(一八六九年)
鎌倉坂があまりに険しいので、水戸藩によって人ひとりがやっと通れる程度の洞門が開通し、当時は「鎌倉坂洞門」と呼ばれていた。
明治四十二年(一九○九年)
西郷村長鯉渕亀太郎をはじめ、村の有力者層が県に補助を求め、物資の輸送手段として荷馬車などが通過できるように拡張された。
大正十四年(一九二五年)
隧道入口の改修を行なった。
昭和二十六年(一九五一年)
当時は素掘りのままで岩壁が風化し、亀裂が走り、しばしば落盤があった。危険で隧道も狭かったので昭和二十五年、県災害防止工事として改良工事に着手した。半年後、高さ四・八三米、幅四・五○米、延長九六・○米のコンクリート舗装による隧道が三月に完成した。
平成四年(一九九二年)
県は近年の交通量の増加と大型化による交通の危険を防止するため、県道笠間常陸太田線の改修工事に合わせ隧道の東側に新道を開通させた。
平成六年(一九九四年)
勝見沢隧道の一部を修景保存することによって永く後世に伝えるため、記念事業として常北町と茨城県は旧県道敷を利用して、「鎌倉坂ロードパーク」を建設整備した。



勝見沢隧道04
勝見沢隧道 日立側坑口跡

反対側は停車スペースと化した旧道敷きが残るのみだけで、坑口があるべき位置には土が盛られて山の斜面と一体化していました。一応、盛土を調べてみると竪穴状の小さな穴を見付けたので覗き込んでみると旧坑門の要石が見えました。こちら側の坑門も現存しているなら掘り起こして整備してくれたら良いのにな。


勝見沢隧道05
竪穴



勝見沢隧道06
日立側坑門の要石



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