
別枝大橋(昭和46年5月架設)
鳥形山鉱山へ向かう途中、大渡ダム湖(茶霧湖)に架かる別枝大橋(べっしおおはし)の直下に旧吊橋の主塔を見付けました。
現在の別枝大橋(下路アーチ橋)は大渡ダムによる水没補償事業として、昭和50年に2.8kmの国道33号線と共に付け替えられたものです。平成5(1993)年に上流の休場橋を経由する小田池川林道の秋葉トンネル(L=461.0m)が開通した為、別路線ながら旧道のような位置付けとなっており交通量は多くはありません。

旧別枝大橋の主塔(奥が国道33号側)
写真では分かりにくいですが、よく見ると下流側の仁淀川の支流にも橋脚の残骸が残っています。湖上の廃風景に何となく惹かれる物があったので、少しばかり寄り道して接近してみることにしました。

【A地点】 水没旧道分岐
旧別枝大橋は国道33号線の水没旧道から分岐しているようなので、まずは別枝大橋の200mほど上流から分岐する旧国道に入ります。

旧国道から見た旧別枝大橋(奥が別枝側)
別枝側にも主塔が残っていますが、その先に続く旧道は深い藪の為か、あるいはダム工事に関連する治山工事によって消滅しているのか判然としませんでした。旧版地形図などによれば旧道は下流側(写真左)に続いていたようです。

国道側の主塔
国道側には主塔と陸地を結ぶ1スパン分の短い桁が残っていましたが、こちら側も橋へ続く旧道跡地は藪が深く到達は容易ではありません。いずれ藪の薄い時期にでも挑戦してみたいとは思います。

【C地点】 旧国道(上)と旧町道(下)の分岐点である秋葉口
前述の通り別枝大橋の下流側にはもう一つの短い橋の残骸があり、そこが旧国道と旧町道の分岐点になっていました。水没前のこの場所には秋葉口バス停や郵便局などを備えたちょっとした集落がありましたが、いずれも現国道沿線に移転しています。

秋葉口の旧橋と別枝大橋
旧橋には2基の橋脚のみ現存しています。陸地と橋脚には一本だけ丸太が残っている(写真左端)ので、桁は木造だったのかもしれません。ちなみに昭和50年の空中写真を見ると旧別枝大橋は既に撤去されていますが、この秋葉口の旧橋はまだ架かっているのが確認できます。

【B地点】 水没する旧国道
この日は秋葉口の町道分岐から下流へ100mほどの地点で旧国道は水没していました。web上にはこの約3kmの水没旧道を走破した記録もあるので、渇水時期には水没旧道全区間を探索できるようです。

【B地点】 旧国道から別枝大橋を振り返る

新旧の別枝大橋

別枝大橋記念碑
最後に現在の別枝大橋の袂に建立された旧沢渡青年団による新旧の別枝大橋記念碑の碑文を紹介して終わりにします。
地勢的な悪条件が産業経済文化の発展を阻んでいた山峡別枝は昭和二十六年十月十六日、当大橋開通により門戸は開かれた。
戦後の混濁の中にあって総工費百三十万円中別枝下区六十六戸の負う特別負担金四十万円はあまりにも大きく、幾多の障害に逢着しつつも盛り上がる区民の熱意と力の結果、ここに緑の園別枝が萌芽を見るに至った。
平和な区民の村造りの営みをそのまま歴史の一駒としてこの碑に記念した。
(昭和二十六年十二月)
この下三十米に位置した木造吊橋幅三米長さ六十四米の別枝大橋は大渡ダム建設に伴い水没保障として容姿を一変した。二十余年の歳月を経た旧別枝大橋は仁淀の清流と先人の遺産と共に湖底に没した。
悠久の彼方へ無限の希望を託して営々と耕す村人達に栄光あれと碑を移して記念する。
(昭和五十一年五月)

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