えさし藤原の郷01
秀衡の宴(6,480円)

平安時代の料理を体験できるという話を聞いて、岩手県奥州市の「えさし藤原の郷」に行ってきました。
「えさし藤原の郷」は平安時代の東北地方を舞台にした大河ドラマ・炎立つ(平成5年放送)のロケセットとして建てられたもので、同ドラマの撮影終了後は歴史公園としてオープンし、歴史体験の一環として藤原秀衡や源義経が食べたであろう料理を再現して供している訳です。
これらの再現料理には料理長自らが説明してくれるサービスが付いていて、庶民の私にとっては料理長にお会いするなど38年の人生で初めての経験でした。以下に「秀衡の宴」の各料理についてパンフの紹介文を転載しときましょう。

公式サイト


えさし藤原の郷02
鴨の醤焼きと鮭の笹焼き

まずは鴨と鮭の焼き物から。この辺りは現代人でも違和感なく食べられますが、ほとんど味付けがされていない薄味のため、膳に用意されている塩、醤、米酢(平安時代には現在のような醤油は存在しなかった)のいずれかを付ける事になります。

主に肉は「焼き物」「煮物」の調理の他にも「醤漬け」にした「醢(ししびしお)」がありますが、これは今日の塩辛の原型です。
今日と同様に魚や肉類・野菜は食べるときは焼くことが主流であり、包み焼きも行われていました。特に鯛や鮭といった大魚は内臓を取り出し、干物等の保存食でした。



えさし藤原の郷03
あわびと大根の酒蒸し

あわびは古代より貝類のみならず全海産物中の王者でした。宮中では客人をもてなす際に「あわび・うに・さざえ」は欠かせなかったようです。また、美味であるばかりではなく、栄養価値も貝類中最高であり、秦の始皇帝があわびを不死の薬として珍重していた伝説もあります。


えさし藤原の郷04
むなぎ白蒸し

こちらは鰻に大根おろしを乗せて蒸した白蒸し。他の料理は醤油なしでも何とかなったけど、これだけは上記3種の調味料ではどうしても美味しく思えません。はやっぱり濃口醤油(江戸時代の発明)を使った蒲焼が一番ですね。

豆類などは蒸したあと発酵させてから食べる「穀醤(カラびしお)」が一般的でしたが、肉・魚・野菜類は蒸した後、そのまま食膳に配されていたようです。


えさし藤原の郷05
鮭の昆布〆

本来の昆布〆は鮒鮨等と同じく現在の寿司の原型になった「なれ寿司」の一種なんだとか。個人的には「秀衡の宴」の中で鮭の昆布〆が一番美味かったと思います。ただ、これも醤、米酢を調味料にするには厳しく、塩なら辛うじて許容範囲でした。

魚を塩でまぶし一晩重石をのせ水気を取り、その魚を冷や飯にのせ再び重石をして数日置き、酸味が出た頃に食しました。今日の鮨の原型です。鮭の昆布〆も同様の調理法により食膳に配られました。


えさし藤原の郷16
いえつも(煮物)

煮物は焼き物同様、一般的な調理方法であり、特に根菜類は「煮る」「蒸す」という手段によって実を柔らかくして食べました。


えさし藤原の郷06
須々保里(漬物)

漬物は塩漬け・醤漬けの他、塩と楡(にれ)の粉を和えたものに野菜を漬ける「ニラギ」という方法もありました。春には蕨・せり・ふき、秋には瓜・なす・かぶ等が漬けられていました。梅干なども古くから行われていたようです。


えさし藤原の郷07
唐菓子

唐菓子は唐果物(からくだもの)とも言い、米粉や小麦粉で作られた古代のお菓子です。結構な硬さがあり、ほのかな甘みがあって素朴な美味しさがあります。大河ドラマ・平清盛では平家貞の大好物として描写されていました。

スナック感覚の王朝ケーキ。大陸文化を吸収するために遣唐使が派遣されるようになると、多くの進んだ文物制度がわが国にもたらされるようになりました。そのうちの一つが唐菓子です。奈良時代には八種類の唐菓子と十四種類の果餅が挙げられます。


えさし藤原の郷08
堅果類(くり・松の実・くるみ)

古くから貯蔵食として食されていましたが、平安時代の食膳においては今日のドライフルーツのようなデザートしての感覚で食されていたいたようです。それぞれに栄養価が高く特に松の実などは、強壮や不老長寿などの効能があると言われていました。聖書にも記述があるほど世界的に栽培の歴史は古く料理の香辛料としても活用されています。


えさし藤原の郷09
強飯

強飯は今日でいう「おこわ」です。当時、高級官人の毎日の「御物(おもの)」は強飯が正規のもので、天皇の供御や節会などの宴にも出されていました。改まった席では器に高く盛り上げる「高盛(たかもり)」が慣わしでありました。


えさし藤原の郷10
義経の宴(3,780円)

平安時代食の注文は5名からという事だったため、今回は家族4人で秀衡×2、義経×3にしときました。4人で問題なく食べ切れるだろうと思ってたけど、意外にボリュームがあって腹一杯になりました。しかし、「秀衡の宴」、「義経の宴」の違いは単に品数の多寡だけなので、あたかも藤原秀衡が客人である源義経に対し、自分のものよりもショボい料理を出していたかのような印象を受けてしまいます(考えすぎ?)。まあ、何にしても子供たちにも貴重な体験をさせる事ができて良かったです。





えさし藤原の郷11
多賀城政庁

園内には陸奥国府であった多賀城(宮城県多賀城市)や奥州藤原氏の居館であった伽羅御所等が復元されています。長女に十二単の着付体験(1日2組限定)もさせてみたかったけど、残念ながらこの日の予約は1週間前の時点で埋まっていました。


えさし藤原の郷12
伽羅御所



えさし藤原の郷13
金色堂のレプリカ

長女は金色堂のレプリカを本物と勘違いしていて一生懸命に写真を撮っていました。ちなみに本物の中尊寺金色堂は鞘堂の中のガラスケースに覆われていて写真撮影もできません。


えさし藤原の郷15
上り線の中尊寺PA

帰りに東北道の中尊寺PAに立ち寄ってみるとあまりのショボさにびっくり。中尊寺を冠しているから何となく最近の観光地的なPAを想像していましたが、トイレと自販機があるだけの極めて簡素な造りでした。せめて金色堂のミニチュア模型ぐらいは置いとけば良いのに。


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