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新橋01
明治から大正にかけての新橋
(戦前絵葉書より)

日本における鉄道発祥の地(明治5年9月、横浜~新橋間開業)である新橋の地名は、汐留川に架かっていた新橋に由来しています。江戸時代から明治時代にかけての新橋は木橋や土橋でしたが、明治32(1899)年に近代的な鋼アーチ橋(上路)が完成しました。同年には新橋の北詰に帝国博品館勧工場(写真左)とエビス・ビアホール(写真右)が開業しており、明治維新の文明開化ほどではないにせよ、新橋地区にとっては画期的な年であったに違いありません。


新橋02
大正時代の新橋
(戦前絵葉書より)

上記絵葉書から少し時代が下った大正初期に撮影された新橋の絵葉書。帝国博品館勧工場が4階建てのビルに建て替わっているのが目につきます。博品館の建て替えは大正10(1921)年、同14年(1925)には新橋がRC充腹アーチ橋(上路)に架け替えられている事から、この絵葉書の設営時期は大正10年~14年の4年間に絞られるでしょう。
また、大正時代の末頃から新橋を通る旧国道1号(現在の国道15号・第一京浜)の混雑が著しくなってきたため、昭和2(1927)年に第二京浜(現在の国道1号)の建設が具体化しました。

【新橋】
明治32(1899)年竣工
延長23.3m、幅員18.2m
鋼アーチ橋(上路)
大正14(1925)年架け替え


新橋03
現在の新橋跡
(平成30年6月12日撮影)

昭和39(1964)年になると東京高速道路の建設用地として汐留川が埋め立てられた事により、新橋も撤去され上空には東京高速の高架橋が架かりました。同様に消失した汐留川の橋は9ヶ所に及んでいます。現在の新橋跡地には大正時代の親柱一基が残るのみです。

【新橋】
大正14(1925)年竣工
延長25m、幅員27m
RC充腹アーチ橋(上路)
昭和39(1964)年撤去


新橋04
新橋の親柱



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