勝鬨橋01
跳開中の勝鬨橋
(戦前絵葉書より)

隅田川の最も下流に架かる勝鬨橋(東京都中央区)は、3,000t級の船舶が通過可能な国内最大の跳開式可動橋として昭和15(1940)年に開通しました。
昭和15年には勝鬨橋を渡った先の月島で万博(紀元2600年記念日本万国博覧会)が開催される予定になっており、万博会場の入口となる勝鬨橋は国威発揚を意図して当時の大規模橋梁としては珍しく日本人技師が設計、施工しています。月島万博は昭和12(1937)年に日中戦争が勃発したため、軍部の反対によって中止に追い込まれましたが、勝鬨橋は予定通りに開通して「東洋一の可動橋」と称えられました。
開通後の勝鬨橋は1日5回程度のペースで跳開して隅田川を行き交う船を通していたそうですが、昭和30年代頃から船舶の通航が激減し橋上の自動車交通が激増した事から、開閉回数は徐々に減少して昭和45(1970)年11月を最後に勝鬨橋が開く事はなくなり現在に至っています。


勝鬨橋02
勝どき橋西交差点から見た勝鬨橋

可動橋としての役割を終えて50年近くが経過した勝鬨橋ですが、陸上では今なお幹線(都道304号・日比谷豊洲埠頭東雲町線)の役割を果たし続けています。橋上には開通当初から併用軌道のレールが敷かれていて、昭和22(1947)年から昭和43(1968)年までは都電の路面電車(勝鬨橋線:築地~月島)が通っていました。


勝鬨橋03
アーチ部の信号灯

橋の入口に当たる両側のアーチ部には可動橋時代に使用されていた信号灯が残っています。現代の基準から見るとドライバーに認識させるには小さすぎるような気がするけど、当時の交通事情ではこの程度の大きさで十分だったのでしょう。


勝鬨橋04
固定部分の鋼ソリッドリブタイドアーチ






勝鬨橋05
跳開中の勝鬨橋

勝鬨橋は、東京港湾修築工事の一環として、海運と陸運の共栄を意図し、建造された、中央二連がハの字形に跳ね上がる日本国内において唯一のシカゴ型二葉式跳開橋等で、昭和十五年(一九四〇年)六月に竣工した。
勝鬨橋の特筆すべき点として、我が国最大の可動支間を有し大規模でかつ技術的完成度の高い構造物であり、上部構造は中央二連の中路式可動桁及び機械装置よりなる跳開橋と、左右一連の拱曲線を放物線とした下路式ソリッドリブタイドアーチからなる。
下部構造は直接基礎の鉄筋コンクリート造で内部に機械装置を収め、可動桁の端部が回転する空間を備える橋脚二基と、杭基礎の橋台二基からなる。
建造工事は、東京市が施工し、設計者は東京市嘱託員成瀬勝武の指導のもと同技師瀧尾達也及び安宅勝らである。

(現地の案内板より)



勝鬨橋06
現在の勝鬨橋
(戦前絵葉書より)

【勝鬨橋】
昭和15(1930)年3月竣工
延長246.0m、幅員26.6m
近代土木遺産Aランク





勝鬨橋07
可動桁部分

開閉しなくなった勝鬨橋は可動部がロックピンによって固定され、昭和55(1980)年には電力供給も停止しました。その後は長らく電源及び可動機構は放置状態だった為、経年劣化により即座に開閉できる状態ではなくなっていますが、「勝鬨橋をあげる会」なる市民団体が勝鬨橋の開閉に向けて活動しており、東京都の試算によれば約10億円程の復旧費用で再び勝鬨橋を開く事ができるらしいです。本当に10億円ぐらいで済むのなら昨今の回顧ブームの風潮に乗って、遠からず実現するような気もしますが…。


勝鬨橋09
運転室

可動桁の四隅には歩道部分を跨ぐように運転室、見張室、宿直室が建てられており、これらの小屋の壁面には歩道と隅田川に向けて信号灯が設置されていました。


勝鬨橋10
東詰から見た勝鬨橋



勝鬨橋11
勝鬨橋の銘板



勝鬨橋12
勝鬨橋

平成17(2005)年には勝鬨橋の西詰にあった変電所を改装して「かちどき橋の資料館」がオープンしました。館内には勝鬨橋及び勝鬨の渡し(勝鬨橋の前身)に関する多数の資料が展示されています。


勝鬨橋13
「勝鬨橋変電所」の銘板



勝鬨橋14
「勝鬨の渡し」の碑

明治二十五年(一八九二)、銀座・築地方面と月島との間には「月島の渡し」が開設されましたが、月島側の発展にともない、両地の交通はこれのみではさばけない状態でした。
明治三十八年(一九〇五)、日露戦争の旅順要塞(中国東北部)陥落を契機に、京橋区民の有志が「勝鬨の渡し」と名付けて渡船場を設置し、東京市に寄付しました。当地にある石碑は、この時に建てられた記念碑です。石碑の正面に「かちときのわたし」とあり、側面には「明治三十八年一月京橋区同志会」と陰刻されています。
設置された勝鬨の渡しの渡船場は、ここから約一五〇メートル西の波除稲荷神社の辺りにありました。対岸にある月島側の渡船場は、月島西河岸通九丁目(現在の勝どき一・三丁目の境)の辺りにあって、この間を渡船が運航していました。
勝鬨の渡しは、住民や月島の工場へ通う人々の重要な交通機関として大いに利用されていました。とくに、月島への労働人口の集中を容易にさせることになり、月島が工業地帯として発展する基となりました。
大正十二年(一九二三)の関東大震災後、架橋運動が起こり、船が通過する際に跳ね上がる可動橋が架せられることになりました。勝鬨の渡しは橋の架橋まで運航され、昭和十五年(一九四〇)六月、勝鬨橋の開通とともに廃止されました。
勝鬨の渡しの名は橋名に受け継がれて今もその名を残しています。

(現地の案内板より)



勝鬨橋15
勝鬨橋周辺地図



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://haisentn.blog41.fc2.com/tb.php/106-33688a39
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック