
松電(左)と伊予鉄(右)の道後駅舎
(戦前絵葉書より)
松電の終着駅だった道後駅(現・道後温泉駅)には、伊予鉄と松電の駅舎が隣り合って建っていました。伊予鉄は松電開業の1ヶ月前(明治44年8月)に競争力向上のため道後線(一番町~道後~古町)の改軌(762mm→1067mm)と電化を実施しており、この際に道後駅舎も建て替えも行われています。松電の駅舎は伊予鉄に吸収合併された後に間もなく取り壊されましたが、伊予鉄の駅舎は昭和61(1986)年まで利用されました。

松電(左)と伊予鉄(右)の道後駅舎
(戦前絵葉書より)

現在の道後温泉駅舎
(平成22年3月17日撮影)
現在の道後温泉駅舎は昭和61(1986)年に完成した三代目。建て替えに当たっては、道後温泉の玄関駅として長年にわたって親しまれてきた二代目駅舎を出来る限り忠実に再現する措置が取られ、上の絵葉書と現状を比較しても再現度が高い事が分かります。昭和60年代と言えば今ほど懐古主義が浸透しておらず、開発一辺倒の社会風潮だったような印象がありますが、その世相の中で明治時代の駅舎を新築復元した点は高く評価したい。
なお、伊予鉄における駅舎の建て替えに旧駅舎のデザインが採用された例としては三津駅があります。

昭和50年頃の道後温泉駅周辺
以前の道後温泉駅前広場はバス、タクシー、一般車両に観光客が無秩序に入り乱れていましたが、平成19年から21年にかけて行われた駅前の「みち再生事業」によって、ある程度は車両と歩行者が住み分けられるように改善されたようです。

【A地点】 県道187号・六軒家石手線との交差点

【B地点】 みち再生事業後の道後温泉駅前
(平成22年3月17日撮影)
現在、愛媛銀行が建っている辺りには旧・道後村の村役場があり、役場前が道路元標の設置場所(大字道後村役場前) になっていました(現存せず)。もっとも道後村は道路元標の設置が定められてから僅か3年後の大正12(1923)年に道後湯之町に編入合併しているので、そもそも道路元標は設置されてなかったのかもしれませんが。
ちなみに道後湯之町は戦時中の昭和19(1944)年に松山市に編入されており、こちらの町役場は道後温泉本館の東隣にありました。

【B地点】 みち再生事業前の道後温泉駅前
(平成20年7月5日撮影)

道後温泉駅に停車中の坊ちゃん列車

蜷川実花アートのラッピング電車
(平成27年8月4日撮影)
伊予鉄・城南線では平成27(2015)年5月1日から平成28(2016)年2月29日まで、道後温泉と蜷川実花氏(写真家、映画監督)のコラボ企画の一つとして、蜷川氏の写真で車体を包んだラッピング電車が走っていました。蜷川氏は同時期に上越新幹線における世界最速芸術鑑賞列車・現美新幹線(平成28年4月運行開始)のデザインも手掛けています。

道後温泉駅の引き上げ線
道後温泉駅から西側に伸びる引き上げ線は、かつての道後線の路盤を転用したものです。道後線は松電との合併時に、松電と完全に重複していた道後~一番町間が廃止となり、残る道後~古町間(現在の城北線)についても昭和2(1927)年に上一万~木屋町間に新線が開通したため、旧線となった道後~木屋町間が廃止され現在の形になりました。
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