松山電気軌道⑤【八股~一番町】

八股駅(現・市役所前駅)と松山城
(戦前絵葉書より)
市役所前駅からは松山城と電車を一緒に撮影できるため伊予鉄の中でも定番の撮影スポットです。ここでの写真は松山市の観光案内等でも頻繁に使用されていて、100年以上前に撮影された松電時代の絵葉書も残っています。
開業当時の駅名は駅前の八股榎大明神に由来する「八股」で、昭和19(1944)年に現在の「市役所前」に改称しました。ところで、wikiの松山電気軌道の頁では、当駅が長年にわたって「八段」と誤記されているので、修正できる人がいたら直しといてくれると嬉しい。

市役所前駅と松山城
(平成21年10月22日撮影)

松山城本丸から見下ろした八股駅
(戦前絵葉書より)
松電時代に松山城本丸から撮影された絵葉書を見ると、堀端の道路が今と比べて狭く、市役所前交差点では随分内側(堀側)に軌道が敷かれていた事が分かります。前述のとおり堀端の道路が拡幅され、県庁前駅~西堀端駅間の複線化が完成するのは昭和11(1936)年の事です。

市役所前駅から見た市役所前交差点
(平成21年1月24日撮影)
松山市役所前の交差点は愛媛県の3大幹線道路である国道11号、33号、56号の終点に当たっているため、交差点の一角には終点を示す道路元標が設置されています。このうち国道33号については昭和50(1975)年に松山南道路が開通した事によって小坂交差点から終点まで国道11号と重複するようになりましたが、元々の旧道は天山交差点から真っすぐ北上して千舟町を経て市役所前交差点に至るものでした。

国道11号、33号、56号の終点を示す道路元標

昭和40年頃の市役所前~県庁前①
これら2枚の絵葉書は昭和37(1962)年10月に完成した四国電電ビルが写っている点と、昭和45(1970)年に撮影された市役所前交差点の写真には交差点上に歩道橋が架かっている事から、昭和37年から同45年の間に撮影されたものと判断できるでしょうか。市役所前交差点の歩道橋は地下駐車場の建設に伴い平成8(1996)年にされ、現在は地下駐車場への出入口を兼ねた地下道が通っています。

昭和40年頃の市役所前~県庁前②

昭和30年代頃の県庁前

昭和4(1929)年に完成した現在の愛媛県庁
(平成22年3月17日撮影)
これまでの記事でも何度か話題に出てきた愛媛県庁は、大阪、神奈川に次ぐ全国3番目に古い都道府県庁です。wikiによると平成6(1994)年に洗い出し工法による大修繕が行われたとの事で、確かに私が子供の頃は薄汚く不気味な様子だったような覚えがあります。なお、県庁前は松山市道路元標の設置場所(大字一番町愛媛縣庁前) ですが現存していません。

明治42(1909)年に完成した先代の愛媛県庁
(戦前絵葉書より)

松山裁判所(現・松山地裁)前
(戦前絵葉書より)
県庁前から始まる一番町通り(国道11号、33号)には、愛媛県庁の他にも、松山地裁、NTT、法務総合庁舎等の行政機関や市内を代表する高級ホテルや観光拠点施設が立ち並んでおり、今も昔も愛媛県の中枢となっている官庁街です。

松山地裁前
(平成21年1月24日撮影)

県庁の正面(現・NTT愛媛ビル)に建っていた日赤病院の宿舎
(戦前絵葉書より)
⑥【一番町~上一万】に続きます。