
勝瑞駅
(奥が高松方面)
高徳線は徳島県板野郡藍住町の東端を500mだけ掠めるように通過しており、この間には藍住町では唯一の鉄道駅である勝瑞駅が設置されています。徳島県内における勝瑞駅の歴史は古く、大正5(1916)年に阿波電気鉄道が吉野川北岸の古川駅(吉野川架橋によって現在は廃線)~撫養駅(下現・鳴門駅)間を開業した際の途中駅の一つです。
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岡本中華のカップ麺
2/18から四国内のローソンにて岡本中華のカップ麺の販売が開始。岡本中華は昭和26(1951)年に小松島市で創業し、現在は三代目の店主が営業しているラーメン店で、徳島ラーメンの中でも白醤油を加えた白系の名店として知られているようです。
岡本中華にはまだ行ったことないけど、カップ麺が美味かったので俄然気になり始めました。

大仏隧道 深沢側坑口
(平成25年2月4日撮影)
鎌倉七口の一つ大仏坂には明治時代の末頃に素掘りの隧道が開通。この隧道は現在の長谷方面行きに使用されているもので、大正10(1921)年に煉瓦で巻き立てられましたが、平成21(2009)年に拡幅改修が完成して現在の形になっています(写真左側)。
一方、深沢方面行きの隧道は昭和32(1957)年に完成した「新大仏隧道」で、洞内に補強工事が実施されているものの、概ね竣工当時の姿を保っているようです(写真右側)。
なお、両坑門には大正時代の巻き立てに使用された煉瓦が備え付けられているほか、両坑口前の中央分離帯には旧隧道の覆工の一部とみられる煉瓦塊が(無造作に)置かれていました。
【大仏隧道】
明治後期開通、大正10(1921)年改修
延長125.8m、幅員5.4m、高さ3.7m
平成21(2009)年拡幅改修
延長129.5m、幅員7.0m、高さ4.5m

首里城正殿
(戦前絵葉書より)
先日、明治時代後期の撮影とみられる首里城の絵葉書(坂元商店発行)を入手しました。この絵葉書に写る首里城は、正徳2(1712)年に琉球国が薩摩藩の援助を受けて再建した4代目(沖縄戦で焼失)に当たるもので、昨年、原因不明の火災で焼失した5代目・首里城(平成4年完成)のモデルになっているものです。明治になって王宮の役割を終えた首里城は学校等に転用されましたが、予算不足から十分な維持管理が行えなかったと伝わっており、実際に絵葉書の首里城も少し荒廃しているように見受けられます。
なお、4代目・首里城の基調色については、「赤だったのか黒だったのか」という論争があるけど、絵葉書を見る限り純和風の寺社建築に見えることに加え、再建時の琉球が薩摩の支配下にあった時代背景を勘案すると、黒とする方が自然なのではないでしょうか。

ブロッコリー(150円)
コロナウイルスの感染が深刻の度を増しているので、休日も人が多そうな場所への外出は控えて久しぶりに神山の道の駅へ。
この手の道の駅は基本的に冬季は商品になるような品物が少ないのですが、今日は茎付きのブロッコリーが売っていたので、大根葉に続いて「1日外出録ハンチョウ」のレシピ(ブロッコリーの茎のきんぴら)を再現することにしましょう。

新笹無田トンネル 竹田側坑口
(平成16年11月7日撮影)
中九州横断道の開通によって国道57号の指定を外れた並行区間のうち、朝地交差点以西は重複区間だった国道442号の表示が表に出るようになりました(朝地交差点以東は県道57号・竹田犬飼線に指定)。
この写真を撮った平成16(2004)年当時には、同区間が10数年後に国道57号の指定を外れるなどとは思いもよりませんでしたが、新笹無田トンネルが名前のとおり旧隧道に対する新トンネルだったため、たまたま国道標識が写り込んでいたものです。

おろしそば(850円)+大盛(200円)
徳島に引越してきて間もない頃に、職場で徳島市内の三軒屋町に「ひかり」という美味い蕎麦屋があると聞いていたので、転勤するまでに行っておこうと考え、平日休みを取得していた今日の昼食に嫁と三女を連れて行ってきました。
歯ごたえが強いものの、のど越しは爽やかで、評判通りレベルの高い蕎麦でした。個人的には徳島県内では、石井の直心庵と並んで美味い蕎麦屋だと思います。