
紅葉橋から見た櫻橋
櫻橋は高光川と帝釈川の合流地点付近の神龍湖に架かっている遊歩道の橋です。帝釈峡の水没補償と観光開発の一環として昭和11(1936)年に完成しました。県道25号・三原東城線の紅葉橋とは約180mの距離で、ほぼ平行に架かっているため、橋上から相互に見渡すことのできる位置関係にあります。
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紅葉橋と三坂第一隧道
紅葉橋は帝釈川ダム(大正13年竣工)の完成によって誕生した神龍湖に架かる橋であり、この橋の架設によって現在の広島県道25号・三原東城線が全通しました。帝釈峡の観光拠点となる立地から架設後には早々に観光名所となり、戦前に撮影された絵葉書が数多く現在に残っています。
この紅葉橋は一車線幅しかなかったため、昭和60(1985)年に現在の紅葉橋に架け替えられましたが、旧橋は同年末に上流約500mの位置に移設され、神龍橋と改称した上で遊歩道の一部として再利用されることになりました。
【神龍橋(旧・紅葉橋)】
昭和5(1930)年竣工
延長83.9m、幅員4.0m
鋼ワーレントラス橋
近代土木遺産Aランク
選奨土木遺産
昭和60(1985)年廃止、移設

豚骨レッド(900円)+うずら(100円)
東中神(昭島市)は意外に美味いラーメン屋が多い事に気付いたので、仕事帰りに足を運んでみたのですが、あいにく行くつもりにしてた店は閉まっていました(売り切れ?)。
そこで以前行った藤虎にて豚骨ラーメンに辛さを加えた豚骨レッドというものを選択。まあ、悪くはなかったけど豚骨ラーメンが十分過ぎるほど美味かったので、わざわざ辛くしなくても良かったかなというのが正直な感想です。とは言え、辛いのが好きな人にはウケるかもしれないから、今度は長女でも連れて行くとしましょう。

初代・高知駅舎
(戦前絵葉書より)
高知県の県都・高知市に国鉄駅が開業したのは大正13(1924)年11月、まずは須崎~高知間の終着駅としての開業でした。翌大正14(1925)年12月には東に向けて土佐山田駅まで開業したのを皮切りに、昭和10(1935)年11月に阿讃国境の三縄~豊永間が開業した事によって、ようやく土讃線として一本の路線として繋がる事となりました。
土讃線の全通は古代より遠流の地、陸の孤島などと呼ばれていた高知県の陸上交通を大きく改善させる結果となり、全通記念絵葉書には下記のとおり歓喜の声が記載されています。
土讃線の開通は久しく陸上交通に恵まれなかった高知市を一挙にして文化の潮に乗せ、又浦戸港には新岸壁成って海陸の交通に一新起源を劃した。その結果、今や■然たる発展力は堰を切って躍進しつつある。

北側から見た桟橋通五丁目駅
(戦前絵葉書より)
土佐電・桟橋線は明治37(1904)年に鏡川より南側(梅の辻~桟橋間)が開業したのを起源としています。2年後の同39(1907)年には潮江橋の開通によって、現・伊野線との接続と市街中心部への乗り入れが可能になりました。昭和3(1928)年になると、はりまや橋と高知駅を結ぶ路線が開業した事から、堀詰に接続していた梅の辻以北の経路をはりまや橋接続に改め、高知市街を南北に縦断する現在の桟橋線の形状が完成しています。
戦前戦後にかけては桟橋から南方に延伸して、佐川との国鉄誘致競争に敗れた高岡(現・土佐市)方面に鉄道を敷設する構想もあったらしいですが、結果的にこの計画が実現する事はありませんでした。