
昭和30年代の数寄屋橋交差点
嫁と子どもが不二家レストランに行きたいと言うので、手持ちの絵葉書に写っていた不二家数寄屋橋店に行ってみる事にしました。
不二家数寄屋橋店は晴海通り(都道304号線)と外堀通り(都道405号線)が交わる数寄屋橋交差点に立地しています。晴海通りには昭和42(1967)年まで都電8系統(中目黒~築地)が、外堀通りには昭和44年10月まで都電17系統(池袋駅前~数寄屋橋)が通っており、数寄屋橋交差点にはそれぞれの路線の数寄屋橋電停が設置されていました。
不二家のサイトによると数寄屋橋店の開店は昭和28(1953)年10月、同店に上の絵葉書にも見える「フランスキャラメル」の大看板が揚げられたのは昭和32年6月との事です。
昔は京橋~新橋間の南北につらなる街路1キロを銀座通りといつていたのが現在そこを中心に東西にまでのびこの銀座通りを中心に日本橋、築地、有楽町等の歓楽街が連なり我が国の流行の発生として有名である。
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栗生峠、数坂峠、椎坂峠周辺
栗生峠は群馬県沼田市の東部、旧利根郡白沢村と利根村の境界に位置しており、南の数坂峠と共に会津沼田街道が通っていたと言われています(本線支線のような関係?)。会津沼田街道が県道沼田若松線、沼田日光線(国道401号、国道120号の前身)に認定された大正9(1920)年には延長327mの栗生隧道が開通、これにより初めて白沢町生枝以東への車両通行が可能になりました。
昭和28(1953)年には県道沼田日光線が国道120号線に昇格していますが、自動車交通の難所になっていた栗生峠はいち早く改修の対象となり、昭和39(1964)年に椎坂峠越えの新道が開かれると栗生隧道は幹線道路としての役目を終えています。

広瀬トンネル 茂畑側坑口
静岡市清水区の国道1号線・横砂交差点から始まる静岡県道371号線(茂畑横砂線)の広瀬トンネル。平成16年トンネルリストによれば平成7(1995)年に竣工したトンネルのはずですが、昭和後期の道路地図にも同規模のトンネル記号が描かれていた事から旧隧道が存在する可能性があると考え平成17(2005)年に現地調査を実施しました。
なお、こういう時に頼りになるのが全国隧道リストなのですが、県道371号線は昭和49(1974)年に認定された比較的新しい県道なのでリストには記載されていません。

清見寺橋
【近代土木遺産Bランク】
静岡市清水区興津清見寺町にある清見寺の境内は、明治22(1889)年に開業した東海道本線によって分断されてしまったため跨線橋が架けられています。現在、見る事ができる切石橋台に乗った鋼プレートガーダー橋は明治31(1898)年の竣工で近代土木遺産に指定されています。
【地図】