八庵01

子供が釣りをしたがったので八王子市恩方町の釣り堀「八庵」へ行ってきました。本当は海釣りをさせれば良いんでしょうけど、八王子から海は遠いし海釣りの厳しさにはうちの子は耐えられそうにないので、愛媛時代から専ら釣り堀(平家谷など)を愛用してます。


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松山電気軌道01
大正時代の松山市周辺地図

2年前に概要だけ書いてほったらかしになっていた松山電気軌道(以下松電)の廃線跡を今回から紹介していきます。
簡単におさらいすると、松電は三津浜町の有志が伊予鉄道に対抗するするべく三津~松山~道後間、約9.6kmに敷設した標準軌(1435mm)の軌道線で、明治44(1911)年に開通したものの、並行する伊予鉄との競争に敗れ大正10(1921)年に吸収合併されました。
その後、昭和2(1927)年には高浜線と並行していた古町~江ノ口間が廃止となりますが、僅か16年しか存在しなかったこの区間は地形図に描かれる機会にも恵まれなかった為、近年まで地元でもあまり知られていない廃線跡でした。


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はりまや橋01
国道32号線 はりまや橋(播磨屋橋)

日本3大がっかり名所の一つ「はりまや橋」。
はりまや橋の起源は江戸時代初期に堀川を挟んだ商家、播磨屋と櫃屋が互いの往来の為に架けた私的な小橋に始まります。江戸時代の末期、安政年間には公道になっていたようで、よさこい節の一節で有名な純信・お馬の物語の舞台になりました。この頃の「はりまや橋」は長さ約29m、幅約3.6mの木橋であったと言われています。
明治41(1908)年に木橋から鋳鉄橋に架け替えられましたが、当時は東隣の山田橋の通りが国道23号線(現在の国道32号線)に指定されており、はりまや通りは生活道路の一つでしかありませんでした。
はりまや橋にとって大きな転機となったのが大正13(1924)年の国鉄高知駅の開業です。高知駅が「はりまや橋」のちょうど真北に開業した為、国道も駅に合わせてはりまや通りに移される事が決定し、大正14年に幅18mに拡張した上で「はりまや橋」は国道23号線の一部になり、昭和3(1928)年には橋上に路面電車(土佐電桟橋線)も敷設されました。
昭和25(1950)年にさらに幅員を拡張した現在の橋(L=20.0m W=37.0m)が完成しましたが、この頃から堀川の水質汚染が徐々に深刻になり始めた為、昭和41年にとうとう堀川は埋め立てられてしまい、現在の橋の体裁を失った「はりまや橋」の形が出来上がりました。

地図


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穴吹橋01
架橋まもない頃の旧穴吹橋

かつて吉野川に架かっていた旧穴吹橋(L=416m、W=5.5m)は徳島県道「脇町穴吹線」(現在の国道193号線)の橋梁として、大正15(1926)年10月に着工、昭和3(1928)年4月に総工費33万1,119円で完成しました。増田淳氏の設計による優美なワーレントラス(+鋼桁橋)は「東洋一の美しさ」と言われ、香川県高松市と徳島県の吉野川流域地区を結ぶ大動脈として活躍しました。
その後、60年以上に渡って活躍し続けましたが、幹線道路としての幅員不足と老朽化などの問題が看過できない状態となり、平成3(1991)年に500mほど下流に現在の穴吹橋が開通し、旧穴吹橋は翌平成4年に撤去されました。
私は平成3年末に撤去を間近に控えた穴吹橋を見たことがあるのですが、その時は「ありがとう穴吹橋」と大書された横断幕がトラス部分に掲げられ、路面には日本酒の一升瓶が多数置かれており、子供ながらに穴吹橋に対する地元の愛着というものを感じたのでありました。


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上仁淀橋01
国道33号線と国道439号線の大渡交差点

上仁淀橋は仁淀川左岸の国道33号線(旧吾川村)と旧仁淀村を結ぶ仁淀川に架かる橋です。
現在の橋は昭和33年3月に完成したトラス橋(二等橋)で、架設の翌年には県道大渡長者佐川線に指定され、昭和47年に主要地方道池川中村線を経て、昭和57年には国道439号線に昇格しました。現橋の100mほど上流側には旧吊橋の主塔が両岸に残っています。

地図


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