京都駅01
京都駅舎(四代目)

京都駅の四代目駅舎となる京都駅ビルが完成したのは平成9(1997)年。当時はあまりにも巨大かつ未来志向的なデザインが京都の街にはそぐわないとして、景観問題の代表例のごとく盛んに批判的報道がされていましたが、築20年が経過した現在ではすっかり京都の玄関口として定着した感があります。


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大将軍駅01
手柄山側から見た大将軍駅跡
(平成25年8月2日撮影)

3年半前に廃線探索をした姫路市営モノレール。同モノレールでは唯一の中間駅であった大将軍駅(高尾アパート)では遂に解体工事が始まったという話を耳にしていたので姫路出張の際に現状を確認してきました。なお、解体に先立って平成28(2016)年8月13日、14日に姫路市が抽選による駅構内の見学会を企画したところ、定員の700名に対し10倍以上もの応募があったそうです。


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日岡駅02
【11:57】 加古川駅

東加古川駅から加古川バイパスを見に行った後は、少しだけ余暇時間が残っていたので加古川線を1区間(加古川駅~日岡駅)だけ乗車体験してみる事にしました。
加古川線は山陽本線の加古川駅から福知山線の谷川駅を結ぶ48kmの路線ですが、全区間を走破する電車は下り線(加古川→谷川)に1日1往復しか設定されているのみで、私が乗車した電車も加古川駅から僅か3駅目の厄神駅(加古川起点7.4km)までの区間運転でした。


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青梅駅01
青梅駅
(戦前絵葉書より)

青梅線・青梅駅は立川駅(現・中央線)を起点とする青梅鉄道の終着駅として明治27(1894)年に開業しました。
当時の青梅鉄道(現・青梅線)は旅客輸送の他に近隣から産出される石灰、青梅織物等の貨物輸送にも重点が置かれており、青梅線における石灰輸送は平成10(1998)年に廃止されるまで続きました。太平洋戦争の敗戦が差し迫った昭和19(1944)年には、当時は未成線だった奥多摩電気鉄道線(御嶽駅~奥多摩駅間)と共に国有化されて全線が国鉄・青梅線となっています。


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アプトいちしろ駅01
アプト区間を通過する井川線の列車
(平成29年1月22日撮影)

先週(1/22)職場の同僚を連れて薩埵峠とアプト式で有名な大井川鐵道井川線の「アプトいちしろ駅」(静岡県榛原郡川根本町)に行って来ました。


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立川駅01
立川駅西側の中央線と青梅線の分岐点
(昭和初期頃)

明治22(1889)年4月11日に甲武鉄道(明治39年国有化)によって新宿駅~立川駅間が開業しました。
それから僅か4ヶ月後の8月11日に甲武鉄道線は多摩川(多摩川橋梁)を渡って八王子駅まで延伸し、明治27(1894)になると立川駅を起点に青梅鉄道が青梅駅まで開業(現在の青梅線)、さらに昭和に入ると当駅を起点に五日市鉄道(現在の五日市線、昭和5年開業)、南武鉄道(現在の南武線、昭和4年開業)が相次いで開業して、概ね現在にまで至る立川駅の配線が完成しています。
平成12(2000)年には立川駅と直角交差する形で多摩都市モノレール(多摩センター駅~上北台駅)が開業しており、多摩地区における立川駅の重要性はより一層向上し続けていると言えるでしょう。


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美濃赤坂駅01
美濃赤坂駅

美濃赤坂駅は東海道本線の大垣駅(岐阜県大垣市)から分岐する赤坂支線の終着駅として大正8(1919)年に開業しました。近隣で産出される石灰石輸送を主目的としている事から、駅構内には旅客ホームの他に広大な貨物ヤードが設置されています。昭和3(1928)年には当駅からさらに奥地の市橋駅まで西濃鉄道が開業し、赤坂支線を介して東海道本線との直通列車の運行も始まりました。
現在は貨物専用線になっている市橋線ですが戦前の一時期は旅客の扱いも行っており、市橋線の旅客列車が終着駅としていたのが美濃赤坂駅の北隣に位置していた赤坂本町駅でした。市橋線の旅客営業は戦時中の燃料統制によって昭和20(1945)年に終了した為、旅客専用駅として開設された赤坂本町駅は役割を喪失する形で廃駅になっています。


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大浦駅01
大浦駅を通過する8000系「しおかぜ」「いしづち」

平成28(2016)年3月26日から予讃線の特急「しおかぜ」「いしづち」で8000系電車を使用したアンパンマン列車の運行が始まったので、前から気になっていた大浦駅(愛媛県松山市)まで見に行っていきました。この時のダイヤ改正では松山駅を境に運行系統が完全に分離となり、「いしづち」「しおかぜ」は電車(8000系、8600系)に統一されて2000系気動車は使用されなくなっています。


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立野駅01
立野駅周辺地図

豊肥本線と南阿蘇鉄道が分岐する立野駅は、大正5(1916)年に熊本から伸びてきた宮地線の終着駅として開業しました。2年後の大正7(1918)年には阿蘇山麓に向けての標高差を3段スイッチバックで克服して、当駅から宮地駅までの区間が延伸開業しています。その後、昭和3(1928)年2月に立野駅~高森駅間の支線(高森線・現在の南阿蘇鉄道)が開業した事によって、立野駅は現在のような分岐駅となりました。この年の末には豊肥本線の最後まで残った未開業区間だった県境の玉来駅~宮地駅間が開業し、宮地線は豊肥本線に編入されています。
立野スイッチバックは国内最大の規模である上に、特急列車も通過する幹線上に位置しているため、スイッチバックが大好きな私としては放っておけず、平成26(2014)年3月23日に「ななつ星」と合わせて見学してきました。
なお、本日発生した熊本地震によって豊肥本線は全線で運休となっており、立野スイッチバックから東方3km程の地点(阿蘇大橋交差点付近)では大規模な山体崩壊が豊肥本線を飲み込んでいるため、全線の復旧には相当の時間を要するものとみられます。


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万世橋駅01
万世橋駅の初代駅舎
(戦前絵葉書より)

中央線の前身である甲武鉄道は明治22(1889)年に新宿~八王子間を開業しました。その後も都心へ向けて順次延伸を進め、明治37(1904)年には御茶ノ水まで開業を果たしました。さらに東進して万世橋駅が開業したのは甲武鉄道の国有化(明治39年)後である明治45(1912)年の事です。
万世橋駅の初代駅舎は、後に東京駅舎を設計した辰野金吾氏による設計と言われ、戦前の絵葉書には東京駅と同様に豪壮な煉瓦造りの駅舎が写っています。駅舎内には1等、2等の待合室の他に食堂、会議室、バーまで備えており、当時としては非常に豪華な設備が備え付けられていました。
しかしながら万世橋駅の栄華は長くは続かず、開業から7年後の大正8(1919)年に中央本線は東京駅まで延伸開業し、万世橋駅は終着駅としての役割を終える事になります。さらに大正12(1923)年に発生した関東大震災では駅舎を消失、これに前後して当駅と近接する位置に神田駅、秋葉原駅が相次いで開業した事により、万世橋駅が開業した当時と比べると駅としての重要性は著しく低下しており、二代目となる再建駅舎は初代と比べると簡素な造りになりました。昭和18(1943)年には万世橋駅は遂に休止状態(事実上の廃止)となりました。

地図


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