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北軽井沢駅舎01
草津温泉駅
(戦前絵葉書より)

手元にあった草軽電気鉄道・草津温泉駅の絵葉書について現状確認を実施してきました。
草軽電鉄は群馬県の草津温泉駅と長野県の新軽井沢駅を結んでいた軽便鉄道で、大正4(1915)年から同15(1926)年にかけて全通しています。沿線は人口希薄な険しい山間部であり、当時から著名な観光地だった軽井沢や草津温泉の観光開発が主な目的でした。しかしながら想定していたほどには需要が伸びる事はなく、軽便線の例に漏れず道路整備が進むとバスに押されるようになり、昭和37(1962)年には全線が廃止となりました。


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厩橋01
二代目・厩橋

春日通(都道453号・本郷亀戸線)が隅田川を渡る厩橋の歴史は、明治7(1874)年に木橋が架けられた事に始まりますが、この橋は木橋のため寿命が短く、僅か20年足らずで老朽化が顕著になったため、明治26(1893)年には二代目の橋に架け替えられています。
二代目の橋は錬鉄製のトラス橋で、木橋と比べると十分な強度を有していたものの交通量は増加する一方だったうえに、明治38(1905)年からは路面電車も通るようになり、大正時代には早くも容量不足となってしまいました。そこで上流側の吾妻橋と同じく窮余の策として仮設橋の増設によって凌いでいたのですが、大正12(1923)年に発生した関東大震災によって致命的な被害を受けるハメになっています。

【二代目・厩橋】
明治26(1893)年竣工
延長156.7m、幅員12m
錬鉄製トラス橋
昭和4(1929)年架替


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駒形橋01
駒形橋
(戦前絵葉書より)

前述のとおり震災復興事業の一つとして吾妻橋の下流200m地点に新設された同橋のバイパス的な橋梁。駒形橋が開通してから80年以上経過した現在でも、新旧道の関係にある駒形橋と吾妻橋は共に都道463号・上野月島線に指定されています。都心部には吾妻橋等、江戸時代から架設されていた橋も多数存在しますが、駒形橋は昭和2(1927)年に現橋が架かる以前は渡し船が運行されていました。


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吾妻橋01
浅草側から見た吾妻橋
(戦前絵葉書より)

江戸時代からの長い歴史を誇る吾妻橋が鉄橋になったのは明治20(1887)年、これは隅田川に架かる橋の中でも最初の永久橋化でした。その後、自動車や路面電車の登場により交通容量、耐荷重ともに不足する事態となったため、明治末期には架け替えが検討され始めますが、応急の対策として上流側に専用軌道橋(絵葉書の中央)と人道橋(絵葉書の左側)が仮設され、この状態で関東大震災を迎える事になります。
震災によって2つの仮橋は失われ、鉄橋(絵葉書の右側)も通行不能(後に復旧)となった事から、震災復興事業として架替工事が本格化し昭和6(1931)年に現在の橋が完成しました。

【(旧)吾妻橋】
明治20(1887)年竣工
延長148.8m、幅員11.9m
鋼プラットトラス橋(3連)
昭和6(1931)年架替


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氷川大橋01
氷川隧道 奥多摩側坑口
(戦前絵葉書より)

以前記事にした旧国道411号の氷川隧道(東京都奥多摩町)について、新たに奥多摩側の坑口を入手したので定点撮影を実施してきました。この絵葉書のタイトルは「奥多摩渓谷 氷川村七曲リ新道」 となっており、昭和8(1933)年に氷川隧道が開通する以前の旧道には、当地に七曲と呼ばれた難所があった事を裏付けています。この旧道の道形は絵葉書では隧道上を通っているのが認められますが、現状では雑木に覆われていて判然としません。


[国道411号線・氷川大橋]の続きを読む
瀬詰橋01
瀬詰橋西詰

徳島県の旧・山川町内(現・吉野川市)では、国道192号に並行する形で北側に県道247号・船戸山川線が通っています。この県道は全区間(L=4.5km)が旧国道192号に該当しており、川田川に架かっている瀬詰橋は大正14(1925)年に完成したものです。


[旧国道192号線・瀬詰橋 ]の続きを読む
博物館動物園駅跡06
博物館動物園駅跡
(近代土木遺産Bランク)

長女を東京駅まで送って行ったついでに上野まで足を伸ばして、昨年11月23日から内部が公開中の京成電鉄・博物館動物園駅跡に行ってきました。ところが正午頃に到着してみると「本日の入場整理券の配布は終了しました」との事で入場不可という悲劇的展開。ご自由にお入りください的な公開かと思ってたけど、ちょっとリサーチ不足だったな…。こんな事なら東京駅で昼飯なんか食ってないで直行しとけば良かった。
もう一度行けない距離でもないので、公開期間中(2月23日まで)に出直すとしましょう。


[京成電鉄・博物館動物園駅跡②]の続きを読む
晩翠橋01
晩翠橋
(平成25年4月14日撮影)

那珂川に架かる奥州街道の晩翠橋(栃木県那須塩原市~那須郡那須町)が初めて架けられたのは明治27(1894)年の事。その後は幾度の架け替えを経て、昭和7(1932)年に今日まで優美な姿を誇っている5代目の晩翠橋が完成しました。昭和53(1978)年には下流側に新晩翠橋を含む黒磯バイパスが開通したため幹線道路からは外れましたが、現在も県道55号・西那須野那須線の一部として活用されています。
生憎、私が訪問した時(平成25年4月14日)には補修工事のため、足場に覆われていたのでフォトライブラリーから拝借した写真を以下に掲載しておくとしましょう。


[旧国道4号線・晩翠橋]の続きを読む
櫻橋01
紅葉橋から見た櫻橋

櫻橋は高光川と帝釈川の合流地点付近の神龍湖に架かっている遊歩道の橋です。帝釈峡の水没補償と観光開発の一環として昭和11(1936)年に完成しました。県道25号・三原東城線の紅葉橋とは約180mの距離で、ほぼ平行に架かっているため、橋上から相互に見渡すことのできる位置関係にあります。


[櫻橋(広島県神石高原町)]の続きを読む
紅葉橋01
紅葉橋と三坂第一隧道

紅葉橋は帝釈川ダム(大正13年竣工)の完成によって誕生した神龍湖に架かる橋であり、この橋の架設によって現在の広島県道25号・三原東城線が全通しました。帝釈峡の観光拠点となる立地から架設後には早々に観光名所となり、戦前に撮影された絵葉書が数多く現在に残っています。
この紅葉橋は一車線幅しかなかったため、昭和60(1985)年に現在の紅葉橋に架け替えられましたが、旧橋は同年末に上流約500mの位置に移設され、神龍橋と改称したうえで遊歩道の一部として再利用される事になりました。

【神龍橋(旧・紅葉橋)】
昭和5(1930)年竣工
延長83.9m、幅員4.0m
鋼ワーレントラス橋
近代土木遺産Aランク
選奨土木遺産

昭和60(1985)年廃止、移設


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