田井橋梁01
田井橋梁 東側坑門

明治43(1910)年に岡山~宇野間が開業した宇野線は、備前田井駅から児島トンネルにかけて盛土による築堤が多用されたため、元々この地を通っていた道路との交差部には開渠を設ける必要があり、国道30号(現在の県道22号・倉敷玉野線)との交差部には大きな迫石が特徴の田井橋梁が建設されました。昭和43(1968)年に西谷ループ橋が開通し、田井橋梁を潜る道は国道30号からは外れましたが、築100年以上が経過した現在も往時の姿を保っています。

【田井橋梁】
明治43(1910)年開業
石拱渠
近代土木遺産Cランク


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渋谷道玄坂トンネル01
渋谷道玄坂トンネル 神泉側坑口

渋谷駅の西側は開発によって本来の地形が分かりにくくなっていますが、道玄坂をはじめとする丘陵地帯であるため西隣の神泉駅も二つのトンネル(神泉トンネルと渋谷道玄坂トンネル)に挟まれた構造です。このうち渋谷側のトンネルは「渋谷道玄坂トンネル」と言い、神泉側のみ近代土木遺産に指定されています(渋谷側は昭和後期に改築済)。

【渋谷道玄坂トンネル】
昭和8(1933)年開業
コンクリートトンネル(単線並列)
延長約320m
近代土木遺産Cランク


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本村隧道01
本村隧道 南側坑門

明治31(1908)年に淀橋浄水場が完成した事に伴い、和泉~淀橋浄水場間に玉川上水の新水路が開通。新水路は高さを一定に保つ必要がある事から、標高の低い場所には盛土をしたため天井川のような様相を呈しており、道路と交差する部分のうち3ヶ所には天井川と同じくトンネルが建設されました。この3つのトンネルの中で最も東側にあったのが、ギリシャ神殿のようなピラスターを持つ本村隧道(第三隧道)です。
本村隧道の竣工は大正9(1920)年と言われ、新水道の開通から12年も経っている訳ですが、現在の隧道が開通する以前の交通形態(隧道or橋)については調査不足のため分かりません。

【本村隧道】
大正9(1920)年竣工
RC拱渠
延長27m、幅員-m、制限高3.5m
近代土木遺産Bランク


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沼部隧道01
沼部隧道

大田区最古の隧道と言われる沼部隧道は昭和9(1934)年の完成。隧道と言っても中原街道(都道2号・東京丸子横浜線)の丸子橋に接続する築堤に開けられたものなので、正確にはアーチ橋(拱渠)に属するような気もするけど、この手の「隧道」なのか「拱渠」なのか微妙なケースは全国各地にあって、どちらに分類するかは基本的に管理者任せになっているようです。
なお、沼部隧道と共に完成した丸子橋は老朽化及び車線拡幅のため、平成12(2000)年に架け替えられ橋の袂に親柱が保存されています。


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国立駅舎01
平成18年以前の国立駅南口
フォトライブラリーより)

かつて国立駅南口(東京都国立市)には東京都内では原宿駅に次いで2番目に古かった駅舎があり、赤い屋根の三角駅舎は国立駅のシンボル的な存在として長年親しまれていましたが、中央線の高架化工事に干渉するため平成18(2006)年10月に解体されました。
しかし国立市は様々な手法を検討して駅舎の保存を模索した経緯もあって、高架化完成後の再建に備えて解体された駅舎の部材を保管していて、駅舎が姿を消してから12年経った平成30(2018)年6月から遂に再建工事(旧国立駅舎再築事業)が始まる運びとなり、平成32(2020)年2月の完成が予定されています。

【国立駅舎】
大正15(1926)年竣工
木造駅舎
近代土木遺産Bランク


[中央線・国立駅舎]の続きを読む
目黒新橋01
目黒新橋

今日は目黒川の桜が見たいという家族の要望に応え、先週に続いて目黒まで行ってきました。東京都内における桜の名所として有名な目黒川には大小幾つかの橋が架かっていますが、このうち目黒通り(都道312号・白金台町等々力線)の目黒新橋は昭和8(1933)年に完成した優美な開腹アーチ橋であり、近代土木遺産に指定されています。

【目黒新橋】
昭和8(1933)年竣工
延長25.7m、幅員22m
RC開腹アーチ
近代土木遺産Cランク


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愛宕隧道01
(大東京)好奇的街景を現はせる愛宕山トンネル
(愛宕隧道 東側坑口)

東京都港区に残った小丘陵のような愛宕山を貫く愛宕隧道は震災復興事業の一環として昭和5(1930)年に完成。当時は日本の土木技術も一定以上の水準に達した昭和時代であり、東京市内(当時)の中心部という立地を考えれば、山ごと取り除かれてもおかしくありませんでしたが、山上には愛宕神社があったため隧道が掘削される結果になりました。


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神宮橋01
神宮橋
(戦前絵葉書より)

明治天皇と昭憲皇太后(一条美子)を祀る明治神宮は大正9(1920)年の創建。
創建時に正面からの参道として青山通り(国道246号)から原宿駅前まで幅30mもの大路が整備され、山手線の掘割を跨ぐため原宿駅の傍に神宮橋が架設されました。当時の山手線は複線だったにも関わらず、絵葉書に写る神宮橋の下には複々線分の空間が確保されている事が確認できます(山手線の複々線化は大正14年完成)。

【神宮橋】
大正9(1920)年竣工
延長19.4m、幅員29.1m
RC桁橋
昭和57(1982)年架け替え


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九段坂01
九段坂を通る電車と靖国神社の高燈篭
(戦前絵葉書より)

小川町と九段上を結んでいた都電・九段線(昭和45年廃止)は明治37(1904)年に九段下まで暫定開通していますが、当時の電車では九段坂の急勾配を登れないため道路よりも勾配を抑えた専用軌道が必要となりました。この専用軌道の敷設工事は牛ヶ渕(内堀)の一部を埋め立て、田安門前に跨線橋を架設する難工事となり、距離にすると400mに満たない九段下~九段上間が開通するのは暫定開通から3年も経った明治40(1907)年の事です。


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上野駅舎01
昭和30年頃の上野駅舎

上野駅は日本鉄道(明治39年国有化)によって、上野~熊谷間の始発駅として明治16(1883)年に開業しました。この時点では上野駅は仮設駅舎での開業であり、煉瓦造りの初代駅舎が完成するのは2年後の明治18(1885)年の事です。初代駅舎は大正12(1923)年に発生した関東大震災によって倒壊してしまったため、当分の間は仮設駅舎で営業する事となり、2代目となる現在の駅舎が完成するのは昭和7(1932)年まで待たなければなりませんでした。
2代目駅舎の最大の特徴は乗客の入口(乗車口)と出口(降車口)を分離していた構造で、完成した当時は1階が入口、地下1階が出口として使い分けられていました。現在では入口・出口の分離はなくなり、1階が乗客の出入口、地下1階は荷物等の搬入口として利用されています。


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