坂下隧道01
(新)坂下隧道 又口側坑口
(戦前絵葉書より)

国道425号線の坂下隧道(三重県尾鷲市)には明治時代の内に新旧二つの隧道が開通しています。
旧隧道は又口川沿岸から産出される木材搬出のため明治33(1900)年に私設の道路として開通しました。当時の国内では自動車はおろか森林鉄道さえも十分に普及しておらず林道としての道路隧道は大変珍しく画期的な存在でした。しかしながらこの隧道は開通から間もなく尾鷲町側の取付道路が大崩落を起こし、復旧に際してより長大な新隧道の掘削が決定したことから、旧隧道は開通から僅か10年ほどで使命を終えました。

【(新)坂下隧道】
明治44(1911)年竣工
延長333.3m、幅員2.5m、高さ4.6m(制限高3.5m)


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久野脇橋01
久野脇橋

アプトいちしろ駅を目指して駿遠国境の大井川を遡っていると、大井川を一跨ぎにしている長大な木造吊橋が目に入りました。塩郷の吊橋こと久野脇橋です。駿遠国境の大河である大井川には戦前から同規模の吊橋が多く架設されてきましたが、通行可能な状態で現存している吊橋は多くありません。

【久野脇橋】
昭和7(1932)年11月竣工
延長220m
吊橋(RC主塔)
近代土木遺産Bランク


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第二領地橋梁01
第二領地橋梁を渡る「あしずり3号」

愛媛に住んでいた頃には正確な架橋位置が分からなかった第二領地橋梁(土佐新荘駅~安和駅間)の所在が遂に判明したので、年末の帰省時に見に行って来ました。
第二領地橋梁が完成したのは昭和13(1938)年(開業は昭和14年)。日中戦争から太平洋戦争にかけて鋼材が不足していた時代であり、この時期に掛けられた鉄道橋には同様のコンクリートアーチ橋が多く見られます。これらのコンクリート橋の中には鉄筋の代わりに竹が使用されている(竹筋橋)と噂されているものさえありますが、第二領地橋梁については鉄筋の代用として古レールが使われているそうです。

【第二領地橋梁】
昭和13(1938)年竣工
延長107.7m
RC開腹アーチ橋
選奨土木遺産
近代土木遺産Aランク



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加茂川橋18
予讃線・加茂川橋梁
(戦前絵葉書より)

国道11号線・加茂川橋(愛媛県西条市)の下流500mの位置に架かっている予讃線の加茂川橋梁。加茂川橋梁を含む伊予西条~壬生川間は大正12(1923)年に開業、大半の区間が平坦な田園地帯であるものの加茂川と中山川への架橋工事が難航したため同区間の開業は度々延期になったと伝わっています。


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勝鬨橋01
跳開中の勝鬨橋
(戦前絵葉書より)

隅田川の最も下流に架かる勝鬨橋(東京都中央区)は、3,000t級の船舶が通過可能な国内最大の跳開式可動橋として昭和15(1940)年に開通しました。
昭和15年には勝鬨橋を渡った先の月島で万博(紀元2600年記念日本万国博覧会)が開催される予定になっており、万博会場の入口となる勝鬨橋は国威発揚を意図して当時の大規模橋梁としては珍しく日本人技師が設計、施工しています。月島万博は昭和12(1937)年に日中戦争が勃発したため、軍部の反対によって中止に追い込まれましたが、勝鬨橋は予定通りに開通して「東洋一の可動橋」と称えられました。
開通後の勝鬨橋は1日5回程度のペースで跳開して隅田川を行き交う船を通していたそうですが、昭和30年代頃から船舶の通航が激減し橋上の自動車交通が激増した事から、開閉回数は徐々に減少して昭和45(1970)年11月を最後に勝鬨橋が開く事はなくなり現在に至っています。


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横須賀駅01
三代目・横須賀駅舎
(戦前絵葉書より)

先日、久里浜まで行く用事があったのでJR横須賀駅で途中下車して横須賀駅舎を見てきました。
横須賀駅が海軍の強い要請によって開業したのは明治22(1889)年、現在の駅舎は第二次世界大戦が開戦する直前の昭和15(1940)年に建てられた三代目のものです。


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美名瀬橋01
戦前の愛媛県西宇和郡川之石町
(宮内川河口付近)

佐田岬の根元に位置する愛媛県西宇和郡川之石町(保内町を経て現在は八幡浜市の一部)は、明治時代には県内初の銀行が開業し、電灯が四国で最初に導入されるなど、現在の南予地方からは考えられない進歩的な土地柄でした。また、明治24(1891)年に開かれた町内雨井の大峰銅山(絵葉書中の「9」の場所)が別子銅山に次ぐ四国第2位の規模にまでに成長した為、明治から大正にかけての一時期は郡役所が置かれていた八幡浜をも凌ぐ繁栄ぶりだったそうです。
川之石町の栄華を支えた大峰鉱山は昭和33(1958)年に閉山となりましたが、現在も旧保内町域は八幡浜伊方原発のベッドタウン的な賑わいが保たれています。


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明治橋01
昭和初期の明治橋
(戦前絵葉書より)

明治橋(愛媛県八幡浜市)の由来は明治37(1904)年に木造トラス橋が架けられた事に始まります。
翌明治38(1905)年には夜昼峠の夜昼隧道が完成しており、明治末頃からは西宇和郡の郡役所が置かれていた八幡浜を中心に、四方八方へ向けて車道の整備が進められていました。明治橋の架設位置は大正時代に定められた郡道制度では、卯之町方面(県道25号)、三瓶方面(県道26号)、川上方面(国道378号)の根元に当たっているため、八幡浜から南方への道路整備においては非常に重要な架橋であったはずです。初代の木造トラスは老朽化によって架け替えられ、昭和5(1930)年に現在の二代目・明治橋が完成しました。


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的場橋01
新的場橋
(平成19年3月29日撮影)

香川県道21号・丸亀詫間豊浜線には三架橋(観音寺市)の他にも、三豊市に的場橋という近代土木遺産の橋があるという事だったので、仁尾から加嶺峠を越えて詫間に下って行くと、的場橋があるという場所にはRC下路アーチ橋が架かっていました。事前に橋の形式を下調べしてなかった為、このアーチ橋が近代土木遺産なのかと思いましたが、実はこの橋は昭和34(1959)年に架け替えられた的場橋だったのでした。

【新的場橋】
昭和34(1959)年竣工
延長30.8m、幅員6.0m
RC下路タイドアーチ橋
地図


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三架橋01
観音寺琴弾公園ノ内 三架橋
(戦前絵葉書より)

香川県道21号・丸亀詫間豊浜線の一部であり、琴弾公園(香川県観音寺市)の観光スポットの一つにもなっている三架橋。同橋は江戸時代には既に架設されていて、三架橋の橋名は当時の橋が3つの橋が連続して1つの橋になっていた事に由来しているそうです。現在の橋は昭和11(1936)年に架けられたものですが、この橋も3連のアーチ橋なので名実共に三架橋だと言えなくもありません。


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