松山電気軌道01
松山電気軌道開通記念絵葉書

松山電気軌道の廃線跡のうち本町以西の区間は遺構も資料も乏しく記事にしにくいため、前回の更新から7年以上も開いてしまいましたが、ここを書かない事には先に進めないので今回は三本柳から萱町まで一気に紹介しときましょう。
まずは今回紹介する区間とは直接関係ないけど、最近になって発見した松山電気軌道の開業記念絵葉書から。これは乗車券も兼ねた記念切符的なもので運賃は通行税込で9銭(乗車区間は不明)。日付印は明治44(1911)年9月20日となっていて、これは難工事のため開業が遅れた札ノ辻~本町間(L=0.3km)が開通した翌日に当たります。


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伊予市駅01
松山~南郡中間 開業記念絵葉書

昭和5(1930)年2月27日、予讃線が松山駅から南郡中駅(現在の伊予市駅)まで延伸開業した際、この記念絵葉書が発行されました。ここで注目したいのは大洲以南の予定線が坂石~近永を通っている点です。当時、南予では現行の八幡浜、卯之町ルートと坂石、近永ルートの沿線が熾烈な誘致合戦を繰り広げており、ようやく現行ルートでの敷設が決定したのは昭和8(1933)年の事でした。これは両ルートの沿線人口を比較してみると妥当な判断だったと思います。


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石手川橋梁01
(旧)石手川橋梁と仮設橋
(平成25年8月1日撮影)

今から5年前の平成25(2013)年頃に、石手川橋梁(予讃線・松山~市坪)の架け替えが始まるという話を聞いたので見に行くと、既に架け替え期間中に使用する仮設橋が完成していました。この後、間もなく仮設橋への切り替えが行われ、旧橋は同年のうちに撤去されたそうです。仮設橋は新橋が開通する平成28(2016)年の秋頃まで約3年間にわたって使用されています。
なお、石手川橋梁の架け替えは松山駅付近の高架化事業に伴う複線化のほか、石手川の河道を拡幅(30m→80m)する河川改修によるものです。

【石手川橋梁】
昭和5(1930)年開業
延長48m
下路プラットトラス橋
平成25(2013)年廃止


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長浜港01
長浜港
(戦前絵葉書より)

高所から長浜港(愛媛県大洲市)を撮影した戦前絵葉書。撮影時期は不明であるものの、予讃線の伊予長浜下灘間が開通している事から昭和10(1935)年以後と推測できます。かつての長浜は新宮(和歌山県)、能代(秋田)と並ぶ木材集積地であり、現在では民家が密集している伊予長浜駅前も当時は大部分が貯木場でした。


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大仏鉄道15

関西本線の加茂~奈良間は明治32(1899)年に開業した当初(当時は関西鉄道、明治40年国有化)は、現ルートの東側の丘陵部を通っていました。旧ルート(通称:大仏線、大仏鉄道)は丘陵部を通っていただけに急勾配が連続していた運行上の支障があったらしく、開業から僅か8年後の明治40(1907)年には、鹿背山トンネルを抜けて木津に出る現ルートに改められました。
ちなみに大仏線以前に関西鉄道として開業していた物件で、当ブログの記事にしているものには大砂川トンネル(明治22年開業、現・草津線)と加太トンネル(明治23年開業、現・関西本線)等の近代土木遺産があります。


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松本01
松本駅に留置されているデビュー前のE353系電車

今日は所用で松本市まで行ってきました。あと8日遅ければ新型「スーパーあずさ」のE353系に乗れていたかもしれないのに残念な事です。


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湊川橋梁01
湊橋
(大正4年頃に撮影された絵葉書より)

湊川河口の付近に架かる旧国道127号の湊橋(千葉県富津市)は、昭和46(1971)年に現在のRC橋に架け替えられるまでは木造橋が架かっていました。木造橋の時代にも何度か架け替えられているらしく、昭和21(1946)年に撮影された空中写真では(旧)湊橋が無い状態で写っています。


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ムタヒロ07
北府中駅から西国分寺方面を見る

府中刑務所の最寄駅である北府中駅は開業当初は東京砂利鉄道が運営する西国分寺~下河原間に敷かれた砂利鉄道の一部でした。その後、国営化と共に中央線支線の下河原線となり、昭和48(1973)年には西国分寺~府中本町間が武蔵野線に飲み込まれる形で廃線になっています。


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安比奈線跡01
西部安比奈線

今年の6月に西武鉄道の安比奈線が廃線になるというニュースが報道されました。安比奈線という一般には聞きなれない路線は、西武新宿線の南大塚駅(埼玉県川越市)から分岐していた全長3.2kmの貨物線で大正14(1925)年に開業しました。終点の安比奈駅からは入間川で採取された川砂利が搬出されていましたが、河川環境の悪化から川砂利採取が禁止されたため、昭和38(1963)年以降は休止の扱いになっていました。
安比奈線が休止から50年以上も廃止されずに残っていたのは、沿線から旅客扱いの要望があった事と、安比奈駅跡を車両基地に転用する計画があったためと言われていますが、いずれも頓挫して今回の廃止となった訳です。
この手の砂利鉄道は戦前戦後にかけて全国各地に数多く敷設されたものの、旧態を留めているのは休止のまま放置されていた安比奈線がほぼ唯一の例と言えるでしょう。


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御陵線跡01
御陵線が記載されている地形図
昭和22年発行「八王子」(1:50000地形図)

京王電鉄・高尾線(北野駅~高尾山口駅、L=8.6km)の始まりは、昭和6(1931)年に開業した御陵線(北野駅~御陵前駅、L=6.3km)に遡ります。これは大正天皇が埋葬された多摩御陵への輸送を目的に敷設されたもので、現在の高尾線・山田駅付近から北西方向に分岐していました。一時期は新宿からの直通列車も運行されたものの、競合路線として中央線と武蔵中央電気鉄道(昭和7年全通・同14年廃止)があったため、乗客は伸び悩み昭和20(1945)年に戦時中の不要不急線として休止に追い込まれました。
その後、昭和39(1964)年に御陵線は正式に廃線となりましたが、3年後の昭和42(1967)年には高尾線の開業によって北野駅~山田駅間が復活を果たしています。


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