鈴木弁当店01
醤油めし(左)と汽車弁当(右)
(平成20年3月9日撮影)

今日、Yahoo!のニュースを見ていると「松山駅から駅弁消える」という見出しを発見。松山駅ってあの松山駅?と気になって記事を開いてみると、やはり我が地元の松山駅の話でした。
確かに松山市では明治時代から現在に至るまで伊予鉄の松山市駅が中心駅として不動の地位を築いており、長距離の都市間輸送を専門にしている感があるJR松山駅の利用客は多くありませんが、50万都市の市名を冠したJR駅に駅弁もないようではちょっと恥ずかしい気がします。また、車内で食事を摂らざるを得ない場合が多い都市間輸送がメインなだけに、駅弁がないのは集客にもマイナス要因になってしまうのではないでしょうか。

駅弁「醤油めし」の製造元(有)鈴木弁当店が弁護士一任、松山駅から駅弁消える

(有)鈴木弁当店は4月2日までに事業を停止し、事後処理を菊池潤弁護士に一任した。
負債は現在調査中。
明治3年創業の料亭を前身とする老舗弁当製造業者。昭和13年から国鉄(当時)松山駅構内で駅弁の販売し、35年に発売した「醤油めし」は、同駅を利用する旅行客などに長年にわたって親しまれていた。また、幕の内弁当、鯛めしをはじめ数々の商品を製造し、松山へ寄港する船内の売店や自社店舗でも販売していた。
(中略)
これによりJR松山駅の駅弁はなくなることとなる。


東京商工リサーチ 平成30年4月4日(水)配信記事より


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かぼちゃの馬車01
沼部駅を発車する蒲田行き列車

沼部駅へ行った時に東急多摩川線の列車を撮るために適当な撮影地を探していると、今年に入ってから世間を騒がせているかぼちゃの馬車の物件を発見。
詳細はどこかのまとめサイトでも見ていただくとして、本件については騙す方が悪いのは言うまでもありませんが、今時こんな手法で簡単に騙される方もどうよって気がする。昔から言われている事だけど、コンビニのフランチャイズと賃貸のサブリースは詐欺的契約の王道ですよ。このご時世、うまい話などそうそう転がっていません。


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アイカツ電車01
富士急ハイランド駅に停車中のアイカツ!ラッピングトレイン

今日は以前から次女が熱望してた富士急ハイランドにて開催中のアイカツ!シリーズ5周年記念イベント(平成29年12月17日~同30年3月31日)に行ってきました。
また、イベント期間内の平成30年1月27日~3月31日までの間には、富士急行線(大月~河口湖)にアイカツ!ラッピングトレインも運行されています。ある程度は想像していた事だけど、この列車は傍に娘を連れておかないと撮影するハードルが高かったです。まあ、真の鉄ヲタなら人の目など気にもならないんでしょうが、常人である私には到底その域まで達せそうにないな。


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みんなの鉄道01

3月28日に発売された「みんなの鉄道DVDBOOKシリーズ 113・115系」(メディアックス)に、当ブログからも吾妻線旧線の写真を提供させていただきました。送付された完成品をみると、吾妻線旧線を含め113・115系列車について詳細な内容に仕上がってました。興味のある方は是非ご購入を検討してください。


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三江線20
三江線の列車

いよいよ三江線の廃止日(平成30年4月1日)が間近に迫り、遠く離れた関東に住んでいても報道で三江線を目にする機会が増えてきました。
廃止が近くなってからでは大きな混雑が予想されたため、私が全駅訪問を企図して現地入りしたのは廃止の正式発表から2ヶ月経った平成28(2016)年11月15日(火)の事です。


[三江線訪問記【前編】]の続きを読む
道灌山トンネル01
目黒駅改築記念絵葉書

現在の山手線にはトンネルはありませんが、明治時代に開業した当初には、目黒に永峯トンネル、田端に道灌山トンネルがありました。これら二つのトンネルは大正時代の末頃までには廃止されていると伝わっています。


[山手線・道灌山トンネル跡]の続きを読む
道後駅01
松電(左)と伊予鉄(右)の道後駅舎
(戦前絵葉書より)

松電の終着駅だった道後駅(現・道後温泉駅)には、伊予鉄と松電の駅舎が隣り合って建っていました。伊予鉄は松電開業の1ヶ月前(明治44年8月)に競争力向上のため道後線(一番町~道後~古町)の改軌(762mm→1067mm)と電化を実施しており、この際に道後駅舎も建て替えも行われています。松電の駅舎は伊予鉄に吸収合併された後に間もなく取り壊されましたが、伊予鉄の駅舎は昭和61(1986)年まで利用されました。


[松山電気軌道⑧【公園前~道後】]の続きを読む
南町03
道後鉄道から見た上一万跨線橋
(戦前絵葉書より)

上一万にあった跨線橋も古町跨線橋と同じく石造りの橋台にガーダー橋を架けた構造だったようです。松電の開業は明治44(1911)年、大正15(1926)年には松電の路線を継承した伊予鉄が一番町~道後間を複線化しているので、この跨線橋は最長でも10数年しか存在しなかった事になります。
跨線橋の傍には伊予鉄、松電双方の一万駅が設置されていて、伊予鉄・一万駅は跨線橋北側に、松電・一万駅は跨線橋西側にありました。


[松山電気軌道⑦【上一万~公園前】]の続きを読む
大街道02
松電開業前の伊予鉄・一番町駅
(戦前絵葉書より)

道後鉄道は道後温泉への旅客輸送を目的として敷設された軽便鉄道で明治28(1895)年に開業しました。その名の通り、道後駅(現・道後温泉駅)を起点として三津口駅(現・古町駅付近)と一番町駅(現・大街道駅)に向かう二つの路線を有していたものの、開業から僅か5年後の明治33(1900)年には伊予鉄に吸収合併され、現在の城北線の原型となる道後線として伊予鉄の鉄道網に加わっています。
ここに伊予鉄への対抗心を剥き出しにした松電が、明治44(1911)年に伊予鉄・城南線の原型となる一番町経由のルートで開業し、路線が並行する沿線各地で激しい乗客争奪戦が始まりました。
結果的に松電は伊予鉄に敗北した訳ですが(大正10年、伊予鉄に吸収合併)、一番町を含む城南地区に限っては伊予鉄と比べ経路、設備ともに優れていたので、集客競争を優勢に進めていたに違いありません。


[松山電気軌道⑥【一番町~上一万】]の続きを読む
八股01
八股駅(現・市役所前駅)と松山城
(戦前絵葉書より)

市役所前駅からは松山城と電車を一緒に撮影できるため伊予鉄の中でも定番の撮影スポットです。ここでの写真は松山市の観光案内等でも頻繁に使用されていて、100年以上前に撮影された松電時代の絵葉書も残っています。
開業当時の駅名は駅前の八股榎大明神に由来する「八股」で、昭和19(1944)年に現在の「市役所前」に改称しました。ところで、wikiの松山電気軌道の頁では、当駅が長年にわたって「八段」と誤記されているので、修正できる人がいたら直しといてくれると嬉しい。


[松山電気軌道⑤【八股~一番町】]の続きを読む